― バトルの幕開け ― 

 
 

 
 

「付き合ってから2人でこの店に来た日、嬉しそうにあなたを見つめていた、たかちゃんの姿を見て何だか安心したわ」
どう返事をしろって言うの? 反応も出来ずに無言でじっと彼女の顔を見ていた。本音がどこにあるのかを知りたくて。
「あの日、あなたがトイレに行ってる間に 『これでやっとヒロから卒業できる』 って言われた。 たかちゃんが私の事をずっと好きでいてくれてたのに気付いてた。誰のところにも行かずに、ずっと傍に居てくれるんだって思ってた。 それなのに気付けば彼女が出来て、目の前で幸せそうに笑ってるなんて」
強気な目が私を捕らえたまま、見下したように笑う。
「何が言いたいんですか?」
「何がって?」
相手の方が一枚も二枚も上手。
私に何かを聞かせたいくせに、自分から核心に触れる部分は話し出さない。かすめる部分だけはしっかり言うくせに。 ここで何かを言ってしまえば相手の思う壺。何も言わずにいる方が良いに決まっている。

 

黙ったまま何も反応しない私の態度は、千尋さんを切れさせるのには十分だったに違いない。
「今更気付いたのよ」
店外のトイレに行った志島さんがそろそろ戻って来る。
彼女は私と2人で話せる時間をしっかりと計算したようなタイミングで言葉を切り出した。
「傍に居てくれたたかちゃんの事、いつの間にか好きになってたんだってやっと気付いた。ずっと近くに居てくれると思ってた。 だから恋人って関係にならなくても問題ないのかな、なんて考えていたのよ」
「それで?」
半分バカにするような態度で聞き返したけれど、心臓は張り裂けそうな勢いで脈を打つ。 怒りでここまで脈って速くなるものなのだと初めて知った。
「たかちゃんに言おうかなと思ってる、自分の気持ち。2人の関係はしっかりしているんでしょう? だったら壊れたりしないでしょ? 後悔なんてしないために 『気付けばたかちゃんを好きになってた』 って伝えたい、もちろん2人の関係を壊したいからじゃないわ。自分自信のけじめとして」
ふざけないで、と言葉にしようとした時に志島さんが戻って来た。
ここで場を乱すような雰囲気を作り出せるほどバカではない。 上手くやり過ごす方が絶対に得に決まっている。悔しさと、怒りで震える手を強く握り締めた。


 

志島さんが会計を済ませ、2人で店を出る。千尋さんは店先まで見送りに来た。来て欲しくなんてないのに…。
「ケンゴさんも、優ちゃんもまた来てね」
「うん。また来るから」
2人のやり取りを無言のまま見ていた。
さっきまで敵意むき出しだった彼女。今はそんな事をおくびにも出さず、優しい笑顔で話をしている。 急に悔しくなった。彼女の方が上手だと分かっていても、妙な敗北感が心に残るのが嫌だった。
「またお邪魔しますね。志島さんだけじゃなく、孝明とも遊びに来ます」
「待ってるわ。2人で来てね。2人の仲の良い姿、私大好きだから」
最高の作り笑いを彼女に向けたけれど、彼女は私以上に満面の笑みで返してきた。やっぱり相手の方が数枚上手。
女同士、表面上は笑顔で。心の中では総合格闘技も顔負けのバトルをしている。
「そう言えば、マグカップ。彼が自分自身の意思で捨てたんです『優の方が大事だから』って言ってくれて。 あんなカップくらい別に気にもしていないのに。彼自身が見切りをつけたみたいです。私、彼に大切にされて幸せです」
可愛らしく顔を傾けてにこりと笑顔を作った。
この仕草は夏樹から学んだもの。嫌味な雰囲気を消してくれるから、男性が居る前で嫌味を言う時には最大の味方だ。
 

千尋さんの反応を見るのが嫌だった。ううん、恐かった。
きっと私よりも上手く嫌味を返して来るのは目に見えているから。
そのまま志島さんの腕にそっと手を添えて「行きましょう」と微笑んだ。 志島さんは目の前で繰り広げられている、女同士の戦いには全く気付いている様子はなかった。
女という生き物は恐い。笑顔で本音を誤魔化して、心の中での罵りあいを平気で出来る生き物。


私自身も、そんな恐い生き物の一人。
孝明を好きだと千尋さんが言い出した時に、心を占領した焦燥感。
取られたくない――――確かに心の中を埋め尽くした感情。
けれど心に同居する、否定しきれない揺れ動く気持ち。
志島さんと2人で並んで歩く、この時間を失いたくないと願う自分。
どっちも本音。どっちも本心。
どちらかを選べと言われたら――――私はどっちを選ぶのだろう。
好きな男と惹かれる男。この差は一体何だろう。
自分の人生、未来を一緒に描けるとするならばそれはきっと孝明。
未来とか過去とか関係なく、心の中に刺激を与えてくれるのはきっと志島さん。
どれが恋で愛なのか。もしかしたら2つともが、恋でも愛でもない幻想なのか。考えがまとまらない。 冷静になれない。だって、どちらを思う気持ちも全て自分自身の感情だから。


 

駅までの短い道のり。
「上見て、月が綺麗だよ」
志島さんの声で顔を上げた。そこには晴れた夜空を照らすような大きな月が天高い位置で輝いていた。
「綺麗ですね」
「うん。久しぶりに空なんて見上げた。昔はもっと空を見上げる余裕とかあったのに」
志島さんの口からこぼれ落ちるように出た言葉はやけにリアル。
確かに若い頃は空を見上げて綺麗と思う余裕があった。今は足元にばかり目がいって、周りの景色を楽しむ事すら減った。それが大人になる事だと言われればそれまでだけれど、四季折々の変化にさえ気付けない事を当然と思うなんて。
大人になるってこんなにも寂しい事なのだと改めて気付かされた。

 

「俺、ずっと心から笑えてなかった。彼女の話は夏樹ちゃんから聞いてるよね? ずっと心に十字架を抱えているつもりで2年間生きてた。この先もずっと彼女の背負う十字架を、共に背負って生きていこうと思う。 思うのに――――」
「思うのに?」
お酒が入っていた事もあって、後先も考えずに聞き返していた。
志島さんの顔を横から覗くと、眉間にシワを寄せ神妙な顔をしている。
「優ちゃんが会社に来てから、毎日が楽しくて仕方がないんだ。 仕事で今まで誰も出さなかったような意見をくれて、不器用だけど一生懸命で。それでいてドライな部分はドライで。 見ていてハラハラしたり、笑いたくなったりする。毎日が予想も付かないくらい刺激あるものに変化したんだ。そんな日常を失いたくないって思うようになった」
どんな意味で言っているのかを理解できないのは酔っているから?
それとも現実感がまるでない、作られた映画のようだから?
綺麗すぎる志島さんの顔は、街灯に照らされて普段よりも一層整って見える。その綺麗な目に捕らえられた。 少し細めた目が私を見ている。恥ずかしいのに逸らせない、逃げ出したいのに逃げられない。
呼吸さえも止まってしまいそうな時間。たった数秒が何時間にも思えてしまう程、脳裏に深く刻み込まれるような感覚。

 

「ごめん、俺酔ってる。優ちゃんには彼氏がいて、彼に大切にされてて。喜ばしい事なのに少し焦った。 もし…優ちゃんが会社から居なくなったら、なんて考えたら苦しくなった」
その言葉の意味を知りたいと思うけれど、それを口にする事も出来ないまま、誤魔化すように言葉を口にしていた。
「私が会社を辞めたら、か。今まであまり考えた事なかったけど、辞める時が来る事を考えたら寂しいですね。 林さんに叱ってもらえないのも、百田さんと話せなくなるのも。志島さんに会えなくなるのも」
お酒の力を借りて出てしまった言葉。
志島さんの彼女が戻ってくる頃には退職をした方が良い、それが皆の意見だった。 それまでに結婚しておきなさいとの意味もあった。
だけど志島さんに恋しないために、そうして欲しいと言う周りの人達の気持ちが込められた言葉。 頭の中では理解出来ているのに、心はそれに反して気持ちが大きくなっていく。

 

そう、気付いていなかったの。
孝明が中国に行っている事に対して、寂しいと思う感覚が薄いのだと自分に言い聞かせて誤魔化していた事に。 切なくて、苦しくて、沢山泣きたい、そんな気持ちを押し込めて、感情の多くを殺している事に気付けなかった。
無理して平静を装って、寂しさを埋めるために誰かの優しさに依存しようとしてしまっている事に、 少なくともこの時の私はまだ気付いていなかった。

寂しさという感情が全てを変えてしまうくらい、力を持った生き物のようなものだと知るのは、少し先だった。
 

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