― 女の第6感 ― 

 
 

 
 

孝明と離れてから1ヶ月が経っている。
相変わらず連絡の主体はメール。時々電話で話をする事もあるけれど、何だか孝明と話しているという実感が乏しい。
あれほど離れるのが辛くて仕方がなくて、涙が出るほどだったと言うのに。1ヶ月経った今となっては、受話器越しに聞こえる声に心を掻き毟られるような寂しさを感じる事はない。
会いたいと思う気持ちはあるけれど、会いたくて仕方がないと思うよりは、戻ってくるまで残り5ヶ月になった、と安堵する方が強くて。

 

家事に関しては1ヶ月で劇的に上達。
なんて言い張れる状態にはなってはいない。上達と言うよりは失敗しないようになっただけ。
何かを焼いても焦さなくなった。揚げ物をして火傷をする事がなくなった。食器を割らずに済んでいる。
. 洗濯もアイロンもそれなりに出来るようになっただけの事。それでも進歩したと思えてしまうのは、今までが出来なさ過ぎただけ。
胸を張って言える事ではないけれど寝坊をしないで起きれる日が多くなった。一通りの事は出来るようになっておきたい。せめて孝明が帰ってくるまでには。


 

心の中で孝明を想う気持ち。
同時に志島さんの笑顔をもっと見たいと願う気持ち。この2つの感情に悩まされる。
頭では分かっているの。孝明のように私を想ってくれる人間はそう居ないのだと。
志島さんは待っている人が居て、私には待つべき人が居る。
頭の中では奇麗事を並べるよう、志島さんと自分の状況を考えられる。
それなのに惹かれてしまう。
理由なんて分からない。それでもあの綺麗な笑顔を見れば、時間が止まってしまったかのような感覚になる。そのまま時間が止まってくれれば良いのにと願う気持ちが芽生える。

 

「優ちゃん、今日は定時で終われそうだよ」
志島さんに声を掛けられてはっとした。仕事中に現実逃避をするように、自分の揺れ動く心について考えているなんて。
「久しぶりの定時ですね」
「いつも残業させちゃって申し訳ないね。そうだ、晩ご飯でも食べに行かない?ご馳走するよ」
人懐きの良い笑顔に捕らえられ、一瞬困惑しながらも頷いてしまっていた。
定時を少し過ぎた頃には仕事も全て終わり、いつになく早く会社を閉められる状態。
「百田さんも行きましょうよ」
志島さんが営業の百田さんに声を掛け、百田さんも笑顔でそれに応じて少し安心した。
2人きりではない方が自分としては気が楽だったから。平常心を保つために。

 

「俺、あの店に行きたいな」
百田さんの言葉で決まった店。それは千尋さんの店だった。
「ここ、俺の友達がやってる店なんだよ」
暖簾をくぐりながら志島さんが笑顔で言った。
知ってますとは言えない。けれど千尋さんの気持ちも、志島さんの気持ちも知っているから複雑。
複雑な感情の一番の原因は、孝明が千尋さんを好きだったという部分にあるのだけれど…この際考えないでおこう。

 

「いらっしゃい。ケンゴさん久しぶりだね。百田さんも元気だった?」
カウンターの奥から飛んできたハスキーで威勢の良い声。志島さんと百田さんに席を挟まれた私に、おしぼりを手渡しながら千尋さんは顔を覗き込んできた。
「あれ?たかちゃんの彼女さんだよね?」
「あ、はい」
彼女はにこりと笑った。
「優ちゃんは千尋ちゃんと知り合い?」
百田さんがビールを頼みながら不思議そうな顔で聞いてきた。
「友達の彼女なの」
「へえ、優ちゃんの彼氏が千尋ちゃんと知り合いか。世間って狭いな」
豪快に笑う百田さんは素直にそう思っているのだろう。
私の彼が想っていた千尋さん、千尋さんが想っていた志島さん、志島さんは私の上司で。不格好な関係が目の前に複雑に交差しているだなんて事には気付きはしないだろう。

 

「優ちゃんの彼もこの店に来た事あるのかな?だったら俺、顔知ってるかも」
ビールを飲みながら志島さんが陽気に言うと、千尋さんがカウンターから話に入ってきた。
「会った事あるわよ。ほら私をヒロ≠チて呼んでた長身で顔立ちはっきりしている人。覚えてる?」
「あー覚えてる。3年くらい前によく居たよね。途中から垢抜けて美男子って感じになった彼だよね」
2人が納得したように会話している。
その会話の中に盛り込まれている数々のキーワードが腹立たしくない訳じゃない。
特にヒロ≠チて呼んでいたとか、そんな余計な情報だけは口にして欲しくなんてなかった。目の前の料理も酒も…味なんて感じないくらい、心の中でグルグルと複雑な感情が渦巻いていた。

そう、何となく感じるの。女の敵意≠。
別に人の気持ちに敏感なタイプではない私だけれど、千尋さんが私に対して良い感情を持っていないのは良く分かる。
表面上は笑顔で接客をそつなくこなしている彼女。けれど行動の端々に感じる何か≠ェある。
第6感で感じる、女同士のバトルの予感。きっと私の勘違いでは終わらない何かが待ち受けている気がする。こういう時の女の勘って大体は当るものと相場が決まっている。


 

百田さんと志島さん、そして私。
楽しく食事をしていても、結局話は仕事に向いてしまう。
来春オープンの雑貨店にどんな商品を営業していこうか、トレンド雑貨の動向などなど、どうしても深い話になる。そんな話題に没頭している間、千尋さんは話には決して入ってこない。
聞き耳を立てて話の全てを聞いているのは確かだけれど。気立ての良い女を演じているように思えてしまう。現実問題、客商売をしている女性なんて大半がそうでなければいけないだろうけれど。

 

「おっと、嫁から電話だ」
百田さんは携帯を手に店の外に出て行った。
戻るまでの間、私と志島さんは林さんの人の良さについて話していたりした。数分すると百田さんは慌てた様子で戻って来た。
「息子が熱出してるみたいで。熱高いから救急病院に連れて行きたいって嫁が言うから、悪いけど先に失礼するわ」
「いえいえ。こちらこそ急に誘ってすいませんでした。奥さんにも謝っておいて下さい。息子さんお大事に」
志島さんの優しい笑顔と、相手の家族を思いやる一言が口に出来る事に感心させられたりしていた。
「お疲れ様です。息子さんお大事にして下さい」
見送ってから2人で飲み直していた。
2人になっても色気のある話なんて出る訳もない。それでも時々目が合って、それだけでドキドキしてしまう。

 

2人で1時間程飲んで、時間は21時近くなっていた。
「そろそろ出ようか?ここ混んできたし」
「そうですね」
仕事帰りの人達で店が混み始めていた。
帰る前にトイレへと向った志島さんを一人席で待っていた。その時を待っていたかのように、事態は思わぬ方向に動き出すの。神様って本当に意地悪な存在だから。カウンターの中にいる千尋さんと目が合った。彼女はにこりと笑顔作る。
「ねえ、たかちゃんと上手くいってる?」
「はい」
引き攣りそうになりながらも笑顔を作る。
たかちゃん…か。そのたかちゃん≠フ彼女を目の前にしたら坂田くん≠ニか言うのが普通。それをあえて呼ぶあたり…女の第6感ってやっぱり当たるのかも。

神様の意地悪が始まる。
今ままで人に依存して生きて来た私に与えられる試練は、どうやら簡単に解決はしてくれなそう。
長いながい自分との戦いの幕開け。
 

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