― 汚いやり方 ― 

 

 

 

「カメ子、昨日人事部の部長とバーに居るの見ちゃった」

声を潜めるように智美が耳打ちをしてきたのは、早期退職者を募る最終日。

人事部長は40代の、神経質そうな印象の残るいつも眉間にシワを寄せていて

とても会社の女と飲みに行くようには見えなかった。

「見間違いじゃないの?」

「絶対カメ子だって。昨日、彼が出張で来てるホテルに会いに行ったの。それで

ホテルの中にあるバーの前を通ったら、人事部長の姿を見付けてさ。カメ子は、

その隣に立ってて。指絡ませて手繋いでて。しなだれかかるようにしてたの」

智美の言葉にイメージが湧かなかった。

カメ子――美咲は、どちらかと言うと見た目も地味な感じ。今まで男の話を聞く

事なんてなかった。と言うより、男に好かれるようなタイプには見えない。

まして人事部長は妻子ある身で。奥さんも美人だと耳にした事がある。

それなのに、美咲のような女のために大冒険したりするだろうか?

「ただ一緒に飲んでただけかもよ」

そう言った私に智美は溜息をついた。

「優は分かってないなー。男と女は想像以上の事が平気であるものよ?それに

カメ子だってリストラの対象になるのは自分だって思ってるでしょ。どうすれば、

リストラの対象にならずに済むか―――仕事の出来ない女の武器は?」

智美の言葉が仕事中もずっと頭の中にへばりついていた。

 

美咲は今日も相変わらず、私達の半分以下のペースで仕事をしている。

繁忙期を過ぎて一月。繁忙期に出した売り上げの入金ラッシュで事務は忙しい。

そんな中、美咲は今日も細かなミスを繰り返し、営業にも叱責されている。

例え―――智美の言うような事があったとしても、美咲に負ける事なんてない。

リストラの対象になるとしたら、美咲が一番最初に選出されるのは確実。

その時はまだそう思い込んでいた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

早期退職の希望は、人員削減目標70名に対して50人しか名乗り出なかった。

残り20人のリストラがいよいよ始まる。

会社の中はいつもピリピリとした空気が張り詰めていた。

そして、早期退職者の一部の退職日が決定し始める。

智美の退職は一ヶ月後になる。しかし、有給の消化があり会社に出て来るのは

実際には数日しかない。

 

「ねえ聞いた?人事部長が若い女の子と一緒に居たのよ」

資材室にコピー用紙を取りに行った私は、資材室の中から聞こえてきた会話に

思わず足を止めた。それは掃除のおばさん2人の会話。

2人は派遣会社から派遣されてきている。会社とは切り離された環境に所属し

毎日ただ黙々と仕事をしているイメージだった。

けれど、掃除のおばさん達はかなりの社員の顔や名前を覚えている様子だ。

「あの人事部長って神経質そうなのに、やる事はやってるのね。どこで見たの?

この会社で働く娘とだったの?」

「この前夕方にラブホテルの美装が人数不足でヘルプに入った時に見たのよ。

この会社の娘だと思う。ちょっと私服だと判断つきにくいんだけどね。ホテルって

エレベーターにもカメラ付いてるでしょ?それなのに、知らないみたいで乗るなり

キスしてさ。女の体触り始める姿がバッチリ映ってて笑っちゃったわ」

おばさん2人の会話で、この前の智美の話が現実味を帯びてきた。

 

おばさん2人の会話を聞く限り、あの神経質な人事部長がどうやら会社の女と

体の関係を持っているのは事実のようだった。

ただ、その相手が美咲かどうかなんて判断も付かない状況で。

コピー用紙を持って部署に戻ると、営業数人がざわざわと騒いでいた。

「優ちゃん、とうとう始まったよ」

営業の一人が私を見付けるなり声を掛けて来る。

「何かあったんですか?」

「今、人事部の人達が来て、うちの部長と応接室で話し合ってるよ。うちの部署

あと3名はリストラになるじゃん?リストラ候補を決定するための話し合いだな」

喉がごくりと音を立てる。

営業の多くが余裕で居られるのは、会社の基盤となる売り上げを叩き出すのは

私達のような内勤の従業員じゃなくて、営業の努力が会社を支えているから。

もしリストラされる営業がいるとすれば、それは余程売り上げが悪いか、素行が

悪いかしか考えられない。だからこそ、営業の人間に焦りは感じられない。

「私も候補になるのかな…」

思わず口をついてそんな言葉が出ていた。

「まさか、優ちゃんがなる前にカメ子に決まってるじゃん」

即答してくれて安心感が少しだけ増す。けれど、徐々に耳に入って来る美咲の

予測不可能な行動に、心の中の不安感が消えていかない。

 

 

そして、その日のうちに1名のリストラ候補が決まる。

それは営業として働いて2年目の男。売り上げが全く伸びずにいる。彼自身も

まだ学生気分が抜けていないのか、それとも仕事に対しての意欲がないのか、

売り上げを伸ばそうとしている気配すら感じられない。

「売り上げが伸びないのは、与えられたルートが悪いからです!」

リストラを切り出されてキレた彼が大声で叫ぶ。声は分厚いガラスの応接室を

突き抜けて部署の中に響いた。中の様子は見えないけれど、全員の視線が、

応接室を捕らえている。

そんな中、私の視線は美咲に向いていた。

皆が応接室を見ている時、美咲はパソコンの画面に視線を向けたまま、他の

人間に見られていると思っていなかったようで、にやりと笑った。

いつも物静かな印象だった。けれど、その時の美咲の表情は見た事もない程、

冷たさを含んだ冷酷な笑い方で。まるで誰かの不幸を喜んでいるように見えた。

 

リストラ

その言葉がじわりじわりと与える恐怖心は大きい。

その日、リストラの話を持ち掛けられたのは1人だけだった。

残りの2人は部長と人事部で話し合って決めるという事になったようだ。

残り2人。

部長が人選をしても、決定権があるのは人事部。

 

話し合いが終わった人事部の人間が部署を出て行こうとした時、人事部長が

美咲にちらりと視線を送るのを、見逃さなかった。

 

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