■□ ターゲット3 #1 □■



 山田と2人で張り込みを続ける毎日。
 ターゲットは相変わらず家を出る事もないままに生活している。

 「将哉交替。俺、寝るわ」
 夕暮れ時を過ぎた頃、疲れた様子で山田がワンボックスカーの後部座席に移った。
 「動きがあったら起しますね」
 「おう、頼んだぞ」
 そう言って横になった山田は数分もすれば、スヤスヤと寝息を立てている。どんな環境でも寝られる事が羨ましい。

 あの日、2人で山田の姉の店に行った夜から、山田と居る時間が自分にとって落ち着けるものになっていた。
 こうして2人で会話もない空間に長時間居る事も苦痛ではなくなった。山田が俺をどう思っているのかは未だに分からないままだけれど。

 「お疲れ様。私も乗せてもらうわよ」
 車に乗り込んできた杉山と目が合う。すぐに逸らされた。
 「お疲れ様です。コーヒー飲みますか?」
 缶コーヒーを手渡すと、無愛想に『ありがとう』とだけ言って、手からもぎ取るように持ち去って行く。 ここまで拒否的な態度をされると笑える。苛付く女だけれど、あからさまに嫌いって態度をされてしまうと少しへこむ。

 「何笑ってんのよ」
 苛立ったような声をぶつけられ、自分がほんのり笑顔である事に気付く。これを世では苦笑いって言うんだろうな。
 「苦笑いですよ。杉山さん訳分かんないし。俺が嫌なら車にも来なきゃ良いのに」
 笑いながら顔を覗き込むと眉を思い切りしかめている。
 「別に将哉の事が嫌いなんじゃないわ。そのにやけた顔が嫌いなの。その顔で覗き込まれると腹が立つのよ」

 「はいはい。おサルさんとワンワンの喧嘩はそこまで。人が寝てるってのに騒ぐなよなー」
 山田が目を覚ましたようで、後部座席でタバコに火をつけながら文句を言っている。
 「おサルさんとワンワンって…」
 「山田さん、やっぱりビンゴみたいですよ」
 杉山は俺の存在をスルーしたまま山田に話し掛けている。
 「どれどれ」
 眠そうな山田が、杉山の言葉に反応して身を乗り出した。

 杉山が持ってきたデジカメの画像を見終わると、深い溜息をつく。  「杉山の予想通りだった訳だな。よし、一回事務所に戻るぞ。張り込みの引継ぎをしよう」
 携帯で夜の張り込みをする調査員に電話をしてすぐに来てもらった。俺達3人は事務所に戻る。
 杉山と山田は何かを考え込んでいるようで、車の中でも黙り込んでばかりだ。一体何があったのか。



 「んで、杉山プランはどう進めるつもりでいる?」
 「どうもこうも、依頼者がどんな反応をするのかによりますね」
 事務所に入るなりテンポ良く会話が進みだす。
 「あの…俺にも事情話してよ。依頼者がどんな反応って事は、ターゲットと依頼者の旦那の不倫が決定付けられたって事?」
 「ターゲットの相手がまだ誰かなんて分からないわ。ただ、一ヶ月以上張り込んで、彼女の部屋を訪ねて部屋まで入ったのは依頼者の旦那しかいないけどね」
 それだけで依頼者がどう反応するのか――――って事? 頭の中をかすめる疑問。それを見透かしたように山田が口を開いた。

 「ターゲットの写真見てみろ。何か気付かないか?」
 パソコンの画面に映し出されたターゲット。彼女はリビングのソファーに座り本を読んでいる。ただそれだけの写真。 一緒に誰かの姿が映り込むでもなく、気になるのは撮影をするために周辺のビルを駆け回ったであろう部分だけ。
 「何かって…俺にはただの読書風景にしか見えないけど」
 「そんなんじゃプロ失格よ」
 「彼女の持ってる本をよく見てみろ」
 言われて彼女の手元に視線が向く。ただの雑誌としか思っていなかったその本は、初めての妊娠について書かれている、年に数回発行される雑誌だった。

 「ターゲットは妊婦だ。引き篭もってるのは性格じゃない。きっとつわりが重いからだろう――――って杉山が気付いたんだ。その裏づけがこの写真って訳だ」
 「凄いな。何の手がかりもない状態でよく分かりましたね。お腹だって出ていないのに」
 杉山はまぁね、と可愛気のない相槌を打って部屋を出て行った。調べものをしてくるらしい。
 「あのさターゲットが妊娠しているって事は、実行役の出番はないって訳だよね?もしそうなればターゲットってどうなる訳?」
 「依頼者の考え次第だな。知りたかったらこれ見てみろよ」

 山田に手渡されたぶ厚めのファイル。
 めくってすぐに気付いた。過去の調査をまとめたファイルである事に。  しかもターゲットが女で妊娠していた場合のものと、ターゲットが男で相手を妊娠させていた場合のものばかりだった。少しだけ結果を見るのが恐いと感じた。
 それでも好奇心の蓋を開けるようにページを進めた。

 結果は様々だった。
 依頼者が諦めて、離婚や離別の道を選んだもの。
 ターゲットに不倫清算を求めて高額な慰謝料請求をしたもの。
 依頼者の配偶者(恋人)の社会的立場を利用しての脅し。これは酷い内容が多かった。 社会的に恵まれた人間に、その立場を失う恐さを訴えかけ、ターゲットに中絶を求めるようにしむけたケースさえある。
 ターゲットを脅したケースさえあった。
 誰かの人生や運命だけでなく、生命さえ裏で操っている――――そう考えると血の気が引く思いだ。 裏の社会を生きる者の運命なのか。それとも、それを生業としているというエゴが生み出す狂った世界なのか。その答えはきっと誰も与えてはくれない。
 けれど一つだけ言える事は、山田も杉山も残酷な結果だけは望んでいないという事だ。 依頼者の立腹は目に見ているけれど、何とか上手く――――新しい生命が無事に誕生出来る術を考えている。

 「将哉、誰も不幸にならずに済む結果を作り出す事は可能かな」
 山田が真剣な眼差しで聞いてくる。
 「分かんない。だけど俺は青臭いけど、出来る可能性があるって思う」
 「可能性か。俺達も損失を出す訳には行かないし、かと言ってターゲットの事が依頼者にバレるのは気が引ける。どうするのが最善策なのか」
 そこまで言って山田は黙り込んだ。

 手元にあるファイルの中で、残酷な結果だと感じた内容のページに視線を落としたまま考え込んだ。
 その時ふと気付く。ターゲットは散々脅されて中絶をし、依頼者の旦那との関係が切れ、失意のターゲットがマンションから飛び降りて意識不明の重体となった。 そして意識が戻ってからも足に障害が残る結果となった、と記された調査結果。そこに書かれていた調査員の名前は山田逸男≠セった。
 山田自身が過去の調査で得た苦痛を回避しようとしている。
 誰かを不幸にしない道を考えようとしている。非情で非道で非現実的な世界を生き、非道徳的な感情を抱いた一人の男が見せた、人間らしい一面。
 俺は大切にしたかった。
 山田が見せた弱い部分、ただ見過ごす事なんて出来なかった。


 実行役としての役目のなくなった今回の案件から、身を引いて良いと言われたのは翌日の朝。けれど身を引く事なんて出来ない。
 ターゲットを待ち受けている結果がどんなものか見届けたいから。 いや、その待ち受ける結果を最悪のものにしないようにする事が出来る、そんな可能性がほんの僅かでもあるのならば、その可能性を見出したかった。
 だから現場を学びたいと言い訳して山田について回る道を選んだ。

 「なぁ将哉、来週には依頼者に経過報告をしなくちゃいけないんだけど。どうするのがベストなんだろうな」
 車の中を充満させるタバコの煙。酷く目にしみる。
 「山田さんは悪い結果にならない方が良いと思う?」
 「どうかな」
 人に質問するだけしておいて、そんな答えかよ。そう心の中を言葉が巡った時、もう一度山田が口を開く。
 「俺、今まで散々人の人生を狂わせてきた。だけどな、人間が手や口を出しちゃいけない領域ってもんがある。そこに踏み込むのは――――外道って言うんだ。 例え人から後ろ指を指されるような生き方をしてても、魂まで売り払うつもりなんてないんだ」
 山田が時折見せる弱さを含んだ本音。それを守りたい。どうしても。
 きっと望まずにこの世界に足を踏み入れた、いわば同士だから。

 「来週まで俺必死に考えますから。依頼者もターゲットも不幸にならない方法を。だから――――」
 ――――だから、お腹の中の命を守りましょう。
 そう素直に言えないのは、男として格好良いとか悪いとか、そんな子供じみた計算が頭の中を過ぎるから。
 「じゃあ、将哉と一緒に俺も不幸にしない道を進める覚悟決めるからな。良案を頼むぞ」

 山田が吐き出した煙がふわり宙を舞う。
 ――――煙に巻く
 一つの打開策が見えた瞬間だった。

2009.10.18
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