■□ ターゲット2 #8 □■



 知ってるよ――――とは言えなかった。仕事でだったら簡単に言葉も出てくるし、どうでも良い女にだったら何とでも言える。 けれど羽衣には簡単な言葉を向けたくない。だからこそ掛ける言葉が見付からなかった。
 「私と高利の関係は終わり。何年も高利の彼女してたんだから分かるの。彼が今好きなのは私じゃないって。 今の高利が必要としているのは彼女。無理して高利と付き合っててもお互いのためになんてならない」
 「別れるのか?」
 しばらくの無言が場を包み込む。

 「別れるって言うか、もうお互いの気持ちが歩み寄る事はないから。これで良かったんだと思う。 いつかきっと笑って、私の選択に間違いは何もなかったって笑える日がくると信じたい」
 「そうだな。高利と付き合っていた期間も間違いじゃなくて、全部が楽しい思い出だったと笑える日が絶対くるよ。 心がくじけそうになった時は、俺がいっぱい励ましてやる。笑って腹がよじれるくらいの小話沢山してやる。 だから悲しい顔しないで、この先の人生を切り開いていこうぜ」
 頷いた羽衣の顔はさっきまでとは違っていて、いつものような意志の強そうな目に戻っていた。

 「そのうち良い出会いもあるさ。固定観念捨てたら、意外と自分の視野が広がるもんが待ってたりするもんだし。 フリーになった途端自分の世界が開けた!なんて事はよくあるみたいだし。明日にはネイルも色々出来るじゃん?」
 「そうだね、ネイル出来るね。私ねお父さんにお見合い勧められてるの。 今時お見合いなんて…って思ってたけど、着物を着る機会も滅多にないし、視野も広がるし。 何より今の心の中にある辛さが軽くなるかも知れないし。行ってみるのも良いかな」
 ベンチから立ち上がった羽衣の後姿は凛としている。 恋愛の傷から立ち直るのは女の方が早いって言うのは本当なのだと実感させられる。

 ダメな恋を引き摺り、傷を深める事はしない――――そう後姿が言っているように思えた。 羽衣ならこの失恋をしっかりと乗り越えてくれるに違いない。新しい自分の人生をその手で切り開いていく強さを持っている。
 「羽衣のこの先の人生が明るくて楽しくて、時々大変だけど充実感あって。そんな人生になる事願ってるよ」
 「ありがとう。将哉、この先もずっと友達でいようね。高利と別れても友達でいてよ」
 握手、と言いながら差し出された手をぐっと握る。友達同士で握手なんてする機会がないから気付かなかった。 強い強い羽衣だけれど、その手はあまりに小さくてか細いと。

 神様どうか、この手・この指からこれ以上幸せがこぼれる事がありませんように。強く、強く心の中で願った。
 羽衣の心に残した傷は決して消す事は出来ない。例え、それが仕事という理由があったにしろ、友達を裏切っているのも事実だ。
 せめてもの罪滅ぼしは、この先もずっとこの心に残る痛みを忘れないこと。そして羽衣の幸せを願うこと。


 1週間経って高利が会いたいと言ってきた。待ち合わせた喫茶店、既に待っていた高利に歩み寄った。
 「待たせたな」
 「おう、呼び出して悪かったな」
 何となく元気がない顔をしている気がする。

 「あのな、羽衣と別れたんだ」
 「そっか。何かあったのか?」
 知っているとは言えないままだった。2人の間にある心の溝の深さも見てきたし、高利の浮気心もこれでもかと言うほど見た。 ほのぼのしていると思っていた羽衣は社会人になって、地に足をつけるようにしっかりと生きている様も見た。
 それでも何食わぬ顔をして、友達に嘘をつきながら平然としている俺は――――まるで天使の仮面を被るジョーカー。

 「俺、千佳ちゃんに惹かれる。それを羽衣にも見透かされて詰め寄られて喧嘩。 別れるなんて考えてもいなかったけど、羽衣の気持ちは俺の所になんてなかったんだよな。 他の女が少し気になったくらいで別れを切り出すなんてさ。アイツ社会人になって変わったし。 女なのに仕事に誇りを持ちたいとか言うし、段々とお互いの価値観が違ってきてたんだよな。 付き合いが長かったから一緒に居るのが当たり前だったけど、羽衣の心はとっくに別の方を向いてたなんて笑えるよな」
 「羽衣の気持ち考えてやれよ。彼氏の心変わりに気付いた時、沢山傷付いたと思うよ。 それに仕事だって本当に真面目に頑張ってる。それって人として大切な事じゃないか?」
 そうか?と首を傾げた高利の顔を見て、怒りが込み上げるよりも先に呆れた。

 親友の高利。ずっと仲良くしてきた友達。
 頭が良くて聡明で。周囲の人間に平等の優しさを与えられる人間だと思っていた。ずっとずっと。
 けれど実際は男尊女卑の意識がある人間で、彼女さえも軽んじて。優しく見えるのは優柔不断なだけで、見栄っ張りで意固地。
恋人として何年も近くに居た羽衣の存在までも軽んじた発言が出来る程、周囲の人間を見下しているのだろう。  その中には俺も入っているに違いない。
 ヤクザに脅されたバカな男≠ニか調査会社程度でしか働けない無能な人間≠ニ思っている気がする。

 「まあ、千佳ちゃんと上手くいくと良いな」
 そんな優しい言葉を掛けながら心の中の悪魔が囁く。最低な別れを与えてやるよ――――と。
羽衣が流した涙の数だけ傷をあげよう。親友だった君に大きな傷をあげよう。最高に心に残る痛み、失恋を。 人の痛みが分かるように。心の傷癒えるまで苦しむ事で知って欲しい人の痛み≠。
 それは親友の長年の恋人関係を壊した者として、親友に心を入れ替えてもらうための一つの手段として。
 仕事のためと言いながら、友達を2人も傷付ける道を選んだ自分のへ戒めとして。 最低で最悪な状況を作り出すんだ。全ての者のために。
 俺の――――過去の居場所を消し去るため。もう逃げ出す事なんてないように。 闇の世界で生きるために真っ当な心はもう捨てる。真っ直ぐに生きる程に現実を見て傷付くのだから。

 伝票を手に喫茶店を後にした。握り締める指先が痛む。まるで心の痛みのように。
 携帯を手にして電話を掛けた。相手は山田。
 『ターゲットなんて?』
 「依頼者の娘と別れたそうです。すいません、千佳とターゲットの別れのシナリオまだ未定でしたよね?」
 『未定だ。あと一ヶ月はジレジレに引っ張ってもらう予定だけどな』
 「シナリオは俺と島崎さんで決めさせて下さい。千佳を悪者になんてしない別れ、演出してみせますから」
 電話を切って空を見上げた。
 友情なんて嘘っぱち。愛情なんて蜃気楼。人間関係の全ては霞のかかった絶景と同じ。 ひび割れた関係は修復なんて不可能だから。それならばいっそ美しく砕け散れ。


 それからの一ヶ月、羽衣の精神的なフォローはしっかりしようと連絡はこまめに入れた。 失恋から立ち直るのは女の方が格段に早いのは、羽衣を見ていると実感させられる。
 「ほら見て、綺麗なネイルでしょ?」
 嬉しそうに自分の手を眺める無邪気な姿は、失恋して間もない人間とは思えなかった。

 「似合うよ。んで、見合いはどうだったんだ?」
 「それがお見合いってお堅いイメージだったのに、現れたのは普通の人だった。着物着て仲介の人がいて…ってのもないし。 お互いの家族同士でちょっと高級なご飯食べに行った感じ。その人の仕事の話とか聞くと楽しかったんだ。 友達とも恋人とも、仕事の関係で知り合う人とも違う不思議な感覚だった。仕事にプライド持ってる人の話聞けてプラスになった」
 さすがお嬢様育ち。根は図太い部分も大いにあるが、どこか感覚は庶民よりずれている。 だからこそ立ち直りも早いのかも知れない。

 「その彼、お見合いで知り合わなかったら恋愛の対象だったんじゃない?仕事とかで価値観合う人間って結構良くない? 恋人としてとかじゃなくて、一人の人間として衣食住≠ノ関する価値観近いと嬉しかったりする」
 「そうだね。価値観って大切だよね」
 改めて自分に言い聞かせるように頷く羽衣は、お見合い相手に対して恋愛感情はないにしろ、悪い感情を持っていないのは分かる。

 羽衣にとって高利との別れが最低なものだったのは心が痛む。
 例え、2人の関係がひび割れた状態だったとしても、結果として彼氏に裏切られるという経験を与えたのは事実だから。
 それでも今、こうして目の前で笑う姿を見て救われる。
 この先もずっと、この笑顔を守ってもらえるようにフォローをしていこう。


 依頼者である羽衣の父親が、彼女の幸せを望んだのか、それとも自分の幸せの延長線上に彼女を置いて見ているのかは知らない。
 それでも、たった1%でも娘の幸せを願う気持ちが勝っていると信じたい。
 最終報告で訪れた羽衣の父に声を掛けた。
 「羽衣がこの先、本当に幸せになれる相手が見付かると良いですね」
 その言葉に羽衣の父は何て答えようとしたのだろうか。
 結局は羽衣の父が話をする前に振り返り事務所を後にした。

2009.09.11
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