■□ ターゲット2 #1 □■



 初めてターゲットとの別れを経験した後、数日の間は正直言って落ち込んだ気分だった。
 お掃除部隊≠ニあだ名の付けられた人間達が、横山真澄の部屋を綺麗に清掃をした後、杉山流の別れの演出をしてくれたらしい。 彼女の部屋に置かれた、小さなカフェテーブルの上に杉山の手で置かれた小箱。
 その中には小さなダイヤの光る指輪。
 それを見た時、横山真澄はどう思ったのだろう。擬似恋愛だった俺達の関係を本物の愛≠ノ見せかける演出。 杉山曰く「指輪を捨てるにしろ、大切にするにしろ、斉藤祐輔という人間が本気で愛していたのだって最後まで勘違いしてくれれば それで良いのよ。愛人と言う道に戻ってしまわないためにね」との事だった。
 なんて嫌な仕事なんだろう、なんて事が頭をかすめたけれど、その罪悪感や痛みも数日経てば薄れるのも事実だった。


 「そろそろ次の仕事に移るわよ」
 杉山の非情な言葉に顔を上げると、調査書類を手渡された。心の整理が欠片も出来ていないと言うのに。
 「もう次なんだ…」
 憮然とした表情で渡されたファイルを開こうとすると、杉山はにこりと笑う。

 「今回は佐々木将哉の名前で動く事になるわよ」
 その言葉の意味も分からないまま、渡されたファイルを開いた。最初のページに出てきた顔を見て背筋が凍る。 呼吸も、時間も止まるかと思った。
 そのページに貼られた写真の顔は、嫌と言うほど見慣れた顔があった。


 油谷高利(23才)
 俺にとって2人目のターゲットは親友の高利。悪夢を見ているような気分だった。
 依頼者は高利の彼女、三田羽衣の父親だ。
 高利と三田羽衣は大学1年の頃から付き合っている。いつも仲が良くて、ほんわりとした羽衣の雰囲気と、しっかり者の高利。 2人のやり取りを見ていると、心が温かくなって幸せだった。このまま結婚するんだろうなーなんて思った日々が頭を過ぎる。
 羽衣の父親が政治家になったのは最近知った。TVのニュースで大物政治家を押し退けて初当選したと騒がれていたからだ。

 「杉山さん、冗談キツイですよ。調査したなら知ってるでしょ?高利は俺の親友ですよ?」
 語気が荒くならないようにしつつも、睨み付けるようにファイルを閉じた俺の手から、さっと調査書を取り上げて目を通している。
 「親友だからよ。ターゲットの事が手に取るように分かるでしょ?好みの女の事も、私生活についても」
 笑みを浮かべている表情に苛立ちが込み上げる。

 「冗談じゃない。真直…会長に抗議してくる」
 「出来るの?会長に助けられた事への恩は忘れたの?もし、あの時に会長が将哉を助けていなかったら今頃どうなってたかな」
 立ち上がった俺の様子を見て、冷静に、窘めるように、痛いところを突くような言葉。杉山の視線はファイルに落とされたままだ。

 「やれないって言ったら?」
 「会長はきっと『将哉が嫌がる仕事はさせるな』って言うでしょうね。だけど、会長が将哉をかばえはかばうだけ、 会長の後釜を是非のと願っているようなお偉いさん達はどう思うかな?会長の首を絞めるような事、将哉は出来るのかな?」
 反論なんて出来なかった。杉山の言う通りだから。けれど…嫌な女だ。人の心をえぐる言葉をいつも笑顔で言えるのだから。



 真直は孤独な人間だ。俺も同じかもな。
 大きな組織の中に身を置かざるを得ない状況に居て、たった一人で誰にも本心を見せずに生きている。 そんな中で俺を『唯一の友達だ』と言いながら、酒を飲む時だけは無邪気な笑顔を見せてくれる。
 俺みたいな人間を拾ってくれて、地獄の入り口から助けてくれた真直を苦しめる事なんて出来る訳がない。 仕事だと割り切るしか俺には選択肢なんてないだろう。
 親友を裏切るような仕事だけはしたくないと言えば、きっと真直はやらなくて良いと言うに決まっているから。 だからこそ、それ以上の反論も出来なくて、杉山の手からファイルを奪い取って目を通し直した。『これは仕事だ』と言い聞かせながら。 『彼女の父親に嫌われながら、付き合いを継続させるような道を親友に歩ませないための仕事なんだ』自分自身に何度も言い聞かせるしか 出来ないただの弱虫だった。


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 久々に会う高利は大学卒業してからの俺の生活を心配していた。
二木兄妹の餌食になった事を心から心配してくれていた。あれから数ヶ月経っているけれど、真直と出会ってからの期間、 仕事が忙しくて会えないままでいた。たまに電話やメールで近況報告をする程度だったから。
 「将哉、調査会社で働いているんだったよな?」
 高利の言葉に一瞬、心臓が高鳴る。何気ないメールのやり取りの中で、調査会社で働く事になったと漏らしてしまったのは、 もう随分と前の事だ。

 「つっても、調査報告書を黙々作るだけなんだ。あとは経理を手伝ったりしながらでさ。完全に『事務員』だよ」
 「そうなんだ。調査会社って大変そうだよな。どんな調査してる会社?」
 疑った様子もないまま、コーヒーを飲みながら無邪気な顔をしている。お前に関係している――――なんて言える訳もないよな。

 「企業調査がほとんどだよ」
 「へーそれまた大変そうな職種なんだな」
 仲の良い人間に対して、嘘を一つ付くたびに罪悪感が胸の奥を締め付ける。 ごめん、嘘を付いて。ごめん、お前の幸せの入り口を閉じる役目をするなんて。心の中で届く事のない謝罪を繰り返した。

 友達としての会話を繰り返しながら、最近の羽衣との関係が上手くいっているのかを悟られないように探る。 相変わらず楽しそうに付き合っているようだった。
 「でも4年以上付き合っているとさ、デートの行き先もありきたりになってくるよ。食事も行き先が段々固定されてきて、 遊びのスポットもお互いの好きな場所に交互に行く感じ。買い物・食事・カラオケ・ボーリング・映画が定番になってきた。 何か良い遊びない?新しい遊びに挑戦したいんだよ」

 高利の何気ない一言。この言葉を杉山や山田が聞き逃す訳がなかった。 事務所に戻るなり、開口一番に山田が笑顔で話し始める。
 「ターゲットは少しマンネリ気味なんだろうな。付き合いの長い中で刺激が欲しい時期なのかもな」
 「だとしたら、他の女と出会わせて恋愛に持ち込ませる事も可能ですよね」
 笑いながら非情な言葉を並べる杉山に怒りが込み上げて、黙り込んだ俺に山田が話を続ける。
 「将哉、ターゲットの好みに近い女をこの中から選んでくれ」
 手渡された厚めのファイル。開いて驚いた。そこには実行役の女の写真がいくつも貼られてある。 もちろんその中には千佳の写真もあった。

 「実力派なのは本田千佳ですよね。今まで失敗した事例がないし。年齢的にもいけるんじゃないです?」
 「だな。宮沢香奈も良いけど。将哉はどっちが良い?」
 宮沢香奈のページを見せられた。
 綺麗な顔立ちにバランスよく並べられたパーツ。かなりの美人だった。けれど高利が好きになるのだとすれば――――千佳かな。
 実際、俺と高利は女の好みが似ている。羽衣だって高利の彼女じゃなければ惹かれる部分は大いにある。 だけど千佳と高利が、もし関係を持つとなると…それは気持ち的に複雑過ぎる。

 「高利の好みなのは千佳かな。だけど――――」
 「複雑なんだろ?自分の教育係だった千佳と、親友が恋愛関係になるのが」
 山田の言葉は的を得ている。と言うか、鋭すぎる。

 「まあ…出来ればあまり深い傷を負って欲しくないですし。彼女と別れて傷を負うだけじゃなくて、実行役との別れも用意されるんだし」
 膨れっ面の俺を見て、山田は珍しく真顔になった。渋々今回の仕事をしている俺の気持ち、少なからず察してくれているのかも知れない。 杉山とは大違いだ…。

 「島崎さんにシナリオ描いてもらうか。体の関係を持たないようにしながら、彼女との恋愛を終了させる筋書きを」
 「……約束ですよ?」
 任せておけよと言いながら、ふて腐れた俺を諭すように笑う。
 ターゲットが高利でなければ、こんな風に先々の痛みまで考えたりしなかっただろうな。人間って本当に勝手な生き物だよな。 見ず知らずの人間相手であれば、最初に持った罪悪感さえも時間と共に薄れてしまうのだから。
 友達だから葛藤や苦しみが継続するだけ。所詮、人間なんてエゴの塊なのだろう。知り合いかどうかで線引き出来てしまうんだから。

 もしかしたら、友達であっても時間と共に高利の恋愛を壊してしまう事に対しての罪悪感も薄れてしまうのかな。

2009.08.06
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