■□ ターゲット2 #2 □■



 「久しぶりね。仕事、上手くいってるって耳にしてるわよ」
 久しぶりに会った千佳は、前と変わらず清楚で可憐なイメージを見に纏っている。 半年振りに見る笑顔は美しくて聡明なままだ。
 「千佳…元気そうだね」
 今回の仕事に対しての葛藤が大き過ぎて、完全にむくれている俺の横に静かに腰を下ろした。


 「今回のターゲット、将哉の友達なんだって?」
 「そう、大学時代に一番仲良かった友達。そいつの恋愛をぶち壊さなくちゃいけないなんて、本当に最悪な気分だ」
 静かに目を閉じた。
 本当、心の底から最悪な出来事だと実感せざるを得ない。俯いたまま無言になる。 千佳が悪い訳ではないのに、八つ当たりをするように言葉を発しないまま視線を外す。

 「将哉は心が綺麗だから傷付くんだね」
 ゆっくりと千佳の口から出た言葉に顔を上げた。
 真っ直ぐな大きな瞳に捉えられる。時間が戻ったような感覚に陥る。
あの頃、まだこの世界に足を踏み入れたばかりの俺に、色々と教えてくれた千佳との時間。
 その時間の中で千佳と言う存在が俺の唯一の心の支えだったから。 今、目の前にある不安や葛藤に一筋の光が見えた気がした。
 千佳の細くて白い手が伸びてきて、俺の髪を優しく撫でる。居心地の良さに鳥肌が立ちそうになる。

 「子供扱いしてない?」
 照れを隠すように視線を外した俺を、彼女はどんな目で見ていたのだろう。 ふっと笑う優しい息遣いだけが耳の奥に届く。
 「将哉みたいな子供がいたら、可愛すぎて目が離せなくなりそうね」
 優しい声。優しい言葉。やわらかな温もり。
 その言葉が嘘か誠か。答えはきっと一生、俺には分からない。千佳は一流の実行役だから。 どんな言葉が相手を喜ばせるかを心得ているから。もしかしたら千佳の言葉に本音なんて1%もないのかも知れない。
 けれど、その優しい言葉の裏側は見ない方が幸せだ。俺自身のために。

 優しい時間をぶち壊すように島崎が現れ、延々と続くんじゃないか?と思いたくなる、かったるいシナリオの説明が始まった。 耳障りな声を、俺の体全体が拒むようで。耳の奥にその声が届いてこない感じがした。
 窓から差し込む陽の光は、すっかり冬の日差しだ。真直と出会ってから日が経ったのを肌で感じる。 島崎の話なんてこれっぽっちも聞いてなんていなかった。

 「将哉、聞いてる?今回あなたが直接的な実行役じゃないにしても、重要な役割をしてもらうんだから。 ちゃんと頭の中に叩き込んでくれないと困るわよ」
 島崎のヒステリックな声が響く。その様を見て、自分の母親の姿と重なる。 今までにない程に島崎に対しての嫌悪感が増していくのを感じる。ヒステリックな女は本当、見ているだけで不愉快だ。

 「島崎さん、将哉はターゲットと友達なんです。心の整理がつくまで時間が掛かるのは仕方がないですよ。 それでも今回、この仕事から下りなかっただけで十分ですよ。ね?将哉だって葛藤しながらも状況分かっているわよね」
 千佳がやんわりと話を遮ってくれ、場の空気は少しだけ和む。

 島崎が用意したシナリオは、千佳と高利が出会うきっかけこそまだ決定していなかったが、千佳と高利が出会ってから、 何とか食事に行ける関係を作り上げてから、俺と羽衣が友達として出掛ける。そこで偶然を装いながら2人の姿を目撃する。 そして、それを数回繰り返してから2人がホテルに入る姿を目撃させると言うものだった。
 そこで体の関係を持たせないで終わらせるのは千佳の技量にかかってくる。
 そして、ホテルに入る姿を目撃した羽衣の彼を信じる心≠崩すのは俺の役目。親友の高利・友達の羽衣。 2人同時に裏切る事になるのか。そう考えるだけで腹の底から溜息が出てくる。


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 「久しぶりに会ったから、デートでもしない?」
 打ち合わせが終わると千佳は笑顔で声を掛けてきた。
 その言葉が本当は嬉しいくせに、変に勘ぐってしまうのは何故だろう。気付けば捻くれた言葉を投げ掛けている。

 「デート?そんなつもりないくせに。俺にまで実行役の千佳≠ナ接してくるわけ?」
 「あら。本気で将哉とデートしたいと思ったのに。取りあえず食事行こう」
 子猫のような目で顔を覗き込まれた。その愛らしい仕草を前に断るなんて出来なくて、千佳と2人で近所の居酒屋に向った。

 酔っ払ったサラリーマンがたむろするような居酒屋の中、ざわめきと賑わい、どこからともなく聞こえる笑い声を聞くと、 気分的に明るくなれる。
 「将哉、友達を裏切る事になるって考えると苦しいでしょ?」
 「まあね。最悪な気分だよ」
 溜息と同時にグラスを勢い良くテーブルに置いた。タバコを取り出し火を点けた。

 「恋愛って経験だと思うの。純粋な恋愛をしている2人を見ていれば幸せを壊す事に対して後ろめたくなる。 だけど2人にしか分からないような倦怠期とかある。そこで揺さぶりを掛けられて、心が動いてしまうかどうかは、 結局本人の心の問題だと思う。どんなに目の前に良い人が現れても恋人を裏切らない人間だっている」
 千佳はゆっくりと話しながら、俺の手からタバコを取り上げて灰皿に押し当てた。
 「将哉にタバコは似合わないわよ。キスする時にタバコの味がするの、私は好きじゃないわ」
 イタズラに笑いながら、タバコの箱ごと灰皿に入れる。前にも言われたな。タバコをやめた方が良いって。 実際しばらくは吸わずに居られた。高利がターゲットになるまでは。

 「心が動く人間だっているだろ?」
 話を戻した。千佳の恋愛論を聞いてみたくて。
 「いるわ。でもそれは差し向ける側だけの問題かな?本人が心のどこかで、今の自分の状況を変えたいと思っていて、 だからこそ目の前の自分を変えてくれるきっかけ≠ノ突き進んでしまうんだと思う」
 「何が言いたいか分かりにくい」
 「もし、将哉の友達が彼女と別れる結果になったとしても、それは将哉だけの責任じゃないって事。 遅かれ早かれ、同じような結果になるって事」

 千佳が言わんとしている事は良く分かる。
 もし高利が千佳に心揺れ動き、羽衣と別れる事になったとしても、それがたまたま決定打になるだけだ。 高利の中に浮気心が芽生えるようであれば、相手が千佳でなくても同じ結果になると言う事。 それに気付くのが結婚してからだったら、2人の傷はもっと深くなるのだ――――と懸命に説明している。
 「彼女の事を思えば、やり直しが可能な年齢のうちに恋が終わる方が良いに決まってる。 彼にとっては、自分の視野が広がるきっかけになるかも知れない。もし後悔する事になっても、同じ過ちを繰り返さないための 心の十字架として痛みになって残る。そして次の恋をする時、今よりずっと優しい恋を出来るかも知れない」
 それって決して損な事ではないのよ、と優しい声が諭してくれる。

 居酒屋を出ると、冬の冷たい風が吹き抜ける。
 「寒いね」
 首をすぼめながら子供のように笑う千佳。無意識のうちにその手を取っていた。
 「クールな将哉にこんな事されたら、ときめいちゃうね」
 千佳の言葉を信じるのは危険だと分かっているのに。気付けば千佳を引き寄せている。 その柔らかい唇に触れても、抵抗される事もない。そっと唇を重ねる。
 「千佳…」
 「将哉、今日は傍に居させてくれるよね?」
 目の前に居る心の支えが全てだった。たった一人の救世主に思えて、千佳に、千佳の優しさにしがみついた。


 深夜、目の前ですやすやと眠る綺麗な寝顔をずっと見ていた。
 千佳を好きかと問われれば正直言って分からない。一緒に居て心が平和になれて、落ち着ける存在。 こうやって同じ時間を共有して不快感は一切感じられない。
 けれど、不思議と心の奥に燃えるような熱さとか、込み上げるような感情がないのも事実。 あまりに現実離れした世界に足を踏み入れてしまった同士が、苦しさ・切なさ・葛藤を埋め合うように共に過す。 そんな感覚だ。それでも、今の俺にとって心落ち着ける大きな存在なのは確か。

2009.08.09
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