― 最後の決戦 ― 

 

 

加賀田さんの逮捕は会社に暗い影を落とした。
無惨に外壁が焼けた玄関付近は水浸しで、焦げ臭い匂いが鼻をつく。
そして何より、そんな状況の中でも仕事は通常通りこなしていかなければいけない。仕事量も増えているのに、加賀田さんが居ない分作業量が増える。
林さんも帰山さんもバタバタと慌しくしている。
「手伝いますね」
返事もまともに出来ない状態の2人の手伝いに入った。
こなしても減らない仕事の山に辟易しながらも、ただ黙々と作業をしていくしかない現実しか目の前にはなかった。

お昼休憩が始まって、やっと一息つけた頃には警官の出入りもなくなって、外壁修理のリフォーム会社の人間の出入りが始まった。
そして時を同じくして加賀田さんのご両親がやって来た。
志島さんに向って土下座をしているその姿は、痛々しいほどに傷付き、憔悴した様子だった。
「頭を上げて下さい。幸いにも会社は無事でしたし、断熱材と外壁のリフォームだけで済みますから」
懸命に加賀田さんの両親を励ましている志島さん。一番傷付き、誰より疲れ切っている状態なのに、朝から懸命に仕事をこなしている。

「加賀田さん最近様子おかしかったもんね」
「そうなのよね。思い詰めてる感じだったし。食欲もなかったし」
林さんと帰山さんは、ここ最近の加賀田さんの変化に気付いていた。
「社長が結婚の話し出した時、自殺でもしちゃうんじゃないかって思ったわ。だけど社長だって幸せになる権利があるし。 失恋なんて誰だってするものなんだけど、彼女はそれを認める事が出来なかったのね」
帰山さんの一言が胸を貫くようだった。

私が幸せを願うように、加賀田さんも幸せを願っただけ。
ただその感情が大きくなり過ぎて、人の不幸なんて考えられなくなった。それが加賀田さんの行動だとすれば、正常と狂気は背中合わせ。 何かの拍子に裏表が逆になるか――――ただそれだけの事。 自分だって一歩間違えれば同じように道を踏み外してしまうかも知れない。

――――――――――――――――――――――――

「優ちゃん、今日から入ったパートさんの雇用の書類。手続き関係をお願いして良いかな」
「はい。今日は天気良いですね」
窓から差し込む陽が、外は快晴だと教えてくれるようだった。
加賀田さんが逮捕されてから1週間。たった1週間。けれどまるで何事もなかったように時間が過ぎる。
玄関も綺麗にリフォームされて、会社の口座には加賀田さんの両親からリフォーム代金が振り込まれていた。 加賀田さんがこの先の人生で抱える傷や罪は何年経っても消えてはいけない。けれど、周りの人の生活は時間と共に元に戻っていく。
今はその速度が速いように祈っている自分がいる。

「そろそろ休憩に入って下さい」
昼休みになっても仕事の手を止めていない様子の林さんに声を掛けた。
「もうちょっとだけだから」
林さんは無表情で黙々と仕事をしている。
何か焦りを感じているように思えて、無意識にその腕を掴んで止めた。もちろんその行動に驚いたのは私自身だけでなく、林さんも。

「やっぱり優ちゃんには見透かされちゃうのかな」
「え?」
林さんは溜息をついた。そして、少しだけ寂しそうに笑う。
「加賀田さん、再逮捕されたの。覚せい剤と大麻の所持だって。家から見付かったらしいわ。流行の芸能ニュースと同じような事が、身近で起こるなんて。現実感ないわ」
「だから…自分を追い込むように仕事してたんですか?」
「仕事に没頭している間は忘れられるでしょ。嫌な事も悲しい事も全部」
林さんの笑顔は儚さを含んでいるように、寂しそうだった。


「林さん、娘のように可愛がった人が皆不幸になる、って落ち込んじゃってるのよ。優ちゃんの笑顔で癒してあげてね」
帰り際、わざわざ事務所に寄って帰山さんが声を掛けれくれた。
「はい。帰山さんも林さん支えて下さいね」
「うん。お互い、せめて笑顔で過してあげよう」
女同士の約束。もし、こんな私の笑顔で誰かが救われるならば――――精一杯笑って過そう。そう決意した日。

まさか笑えない状況がこの後すぐ起こるなんて。
それもよりによって、笑顔で過そうと決めた日の夜に。

――――――――――――――――――――――――

会社を出る頃にはすっかり陽も落ちていた。
仕事帰りに母親に頼まれた大型書店へと足を運んだ。なかなか手に入らない本があるからと。 インターネットで頼めば簡単に家まで届けてくれるのに、なんて心の中でぼやきながら向った。
オフィス街の中心にそびえる大型書店は、医学系やら鉱物関係、はたまた法律、ビジネスとありとあらゆる分野の本が充実している。
5階建てのビルの地上4階部分まで全て売り場と言うだけあって、迷路のようで気が遠くなる。

インフォメーションカウンターで目当ての本が何階にあるのかを聞いてから向う。ビルの中心にある螺旋階段を上る。 綺麗に磨かれた階段はまるでお城の一部みたいで。映画だったらこの先に王子様が居るのよね――――なんて思っていた。
けれど神様は大のイタズラ好きなお方のようで。
階段から降りて来たのは、見覚えのある姿。
千尋さんだった。

野生の本能なのか。
それとも防衛本能とでも言うべきか。
気付けば今来た階段を駆け下りていた。彼女の顔をまともに見る事なんて出来ないから。彼女の幸せそうな姿なんて見たくもないから。
現実に触れないでいれば笑顔で居られる、と思って一心に逃げた。

「待ってよ。逃げないでよ」
店を出てすぐ腕を掴まれた。
「放してくれません? 私、あなたに用事ないですから」
「放したら逃げるでしょ? 私は優ちゃんに用事があるの」
私を掴む力は強くて。抵抗しても千尋さんは全く動じる事もない。

「タカちゃん一昨日帰国したのよ。良いの? このままタカちゃんに会わなくても」
彼女の口から出たタカちゃんと言う名前に頭の中が真っ白になる気がした。
「何言ってるの? 会わない方が嬉しいでしょ? 私が居ない方が千尋さんは幸せでしょ?」
「そんな訳ないでしょ?」
「だったらどうして邪魔したの? 何で…私と孝明の間に割って入ろうとなんてしたの? 別れて嬉しいでしょ?」
千尋さんの腕が一層力を増した。唇を堅く結んだままの彼女が、力強い眼で私を捕らえて離さない。私も目を逸らせなかった。

「試したかったのよ。牧山優って人間を。ズルく生きて来た平凡な…特別美人でもないあなたを。あなたって女を」
「言ってる意味が分からない」
私と千尋さんに好奇の眼差しを向ける人々の視線を感じながら、睨み合ったまま。
どうして、今になって失恋の原因を作った人間とこうしてぶつかり合わなくちゃいけないの?

ただ幸せを手に入れたい。
そう願っただけなのに。

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