― あれから4ヶ月 ― 

 

 

牧山優、29才。あと6ヶ月で三十路に突入。
職業、事務員
趣味、なし
特技、なし
彼氏、なし
『負け組』と呼ばれる日もそう遠くない。


孝明と別れたあの夜から、メールも携帯も鳴る事なんてなかった。
毎晩泣いて泣いて、泣き疲れて眠るのを繰り返したのも一ヶ月くらいだけだった。その以降は泣けなくなった。泣けば自分が惨めだから。
鳴らない携帯を見つめながら泣く事も、メールが来るのを望んでしまう事も、全てが空しくて惨めだった。
周囲の人間がそれを感じ取っているのかは分からないけれど、彼氏に関して聞かれる事もなくなった。 年齢的にも聞きづらい私に、彼氏は?なんて堂々と聞く人間は、世の中そんなに多くはない。

「そろそろ坂田くん日本に帰って来るんじゃない?」
母親の無神経な一言で、心臓が痛いくらいに強く、速く脈打つ。
どうしてよりによって朝食の最中にそんな話題を出すかな…。これから仕事だって言うのに、憂鬱な気分になるような話題を出さないで欲しい。
「さぁね」
「さぁって、もしかして喧嘩したとか?」
真顔で聞いてくる母の様子を見て眩暈がした。どうやらこの人は、孝明と別れてからの4ヶ月間、私が散々泣いている事にすら気付いていなかったようだ。
「もうずっと前だよ。もう会う事もないんじゃないかな」
「あんた…本当に男を見る目がないんだから」
呆れましたと言わんばかりの表情で、最後の一口のご飯を口に運んだ母は、ガチャガチャと不機嫌そうな様子で片付けを始めた。 それ以上、母の機嫌を悪くしたくないし、孝明の話題をしたくないから部屋へと逃げた。

男を見る目がないのなんて分かってる。
そんなの今に始まった事じゃない。
過去の恋愛全て、まともだったものなんてないのだから。
それは相手もそうかもしれないし、私自身も『良い女』なんかじゃなかったんだから。 相手の価値を望むばかりで、自分の価値も向上出来なかった私には簡単に幸せなんて掴めない。
幸せになるには、もっともっと努力が必要なんだ。


「よしっ!」
鏡の前で気合を入れた。まだ強がりで、意地っ張りな私だけれど、今は自分に出来る事を頑張ろう。そう気合を入れた。
鏡の中に普段仕事で着る事のないスーツに身を包んだ私がいる。
今日は取引先の大手のインテリアショップの関係者が続々と来社する日だ。今日はオープン前の最終的な商品選定がある。
来週の新規店オープンに向けて、レイアウト済みの店内に置き加えたいものと、その価格の最終的な打ち合わせがある。
緊張もするけれど、志島さんの会社に入って約半年。仕事にも随分と慣れたし、最近では志島さんが海外に買い付けに行けるようになった。 もちろんその間、会社の切り盛りは営業の百田さんと私で何とかやってきた。
そして仕事が好きになった自分がいる。
自分で雑貨の価格を考え、売れるパッケージをイメージする。
そうして苦労した商品が、小さな雑貨店の店先に並んでいるのを目にする喜びは、簡単な言葉では表現しきれないものだから。


慌しく時間の過ぎる一日だった。
今までは大型の商品ばかりが選定されていたけれど、今日の取引先の来社で小物系の雑貨類もどんどん入荷が予定されていく。
小物類の検品・梱包が増えるとなると、林さん達の残業時間が増えてしまう。きっとプリプリと怒りながらも、テキパキ働いてくれるんだろうな。
そんな事を考えると、忙しい最中でもふと笑いが顔を出す。
「玄関まで見送りに行って来るから」
志島さんに小声で話し掛けられて、取引先の人が帰るのを玄関先まで見送った。志島さんは会社の前まで出て、車が見えなくなるまでその姿を見送っていた。 深々と頭を下げる姿は、見た目からは想像もつかないくらいしっかりして見える。

「疲れたー」
「コーヒー淹れますね」
書類の山積した応接室で、ソファーにどかりと腰掛けて深い溜息をつく志島さん。私はコーヒーを淹れようと応接室を出た。
「優ちゃん、どうだった?商品数増えたんでしょ?」
「社長が応接室に居て、決定した商品の書類と睨めっこしてますよ。見て来て下さい。結構増えました」
林さんと帰山さんは慌てて応接室へと飛んで行った。
加賀田さんは元気のない様子で2人の後ろをトボトボと付いて行く感じだった。その目は虚ろで覇気がないと言う表現がよく合うものだった。


コーヒーの入ったカップ5つ、トレイに載せて応接室に向うと、中からキャッキャと騒がしい声が聞こえる。
「うそっ!そんな事までもう決めちゃうの?」
林さんの驚いたような声が聞こえた。応接室のドアを開けると、真っ青な顔をした加賀田さんが目に飛び込んでくる。
「志島くんがビックリする話言い出すの。優ちゃん聞いてた?」
「優ちゃんにもまだ話してないんだ。一番に林さんに話そうと思ってたから」
志島さんと林さんに話題を振られながらも、いまいちピントが合わずにキョトンとしていた。帰山さんはそんな私に気付いてくれた。
「社長、彼女が出所したらすぐに結婚式を挙げたいって。長くてもあと2年ちょっと。本人不在で準備を進めるから、林さんにも色々手伝って欲しいって」
教えてくれる帰山さんも嬉しそうに笑っていた。
皆で結婚の話題で盛り上がり、仕事の話も笑い合いながら進める事が出来た。忙しくなる事もあってパートの時給も増やす事になり笑顔の絶えない1日だった――――ハズだった。



新しく決まった商品の納品日や梱包の日程を組んだりしていて残業だった。
「優ちゃん遅くまでごめんね。帰り送るよ」
「今日だけは甘えて送って頂きます」
時計に目を向けると日付が変わりそうになっていた。
こうして夜遅くまで仕事をしながらも、会話もほとんどないくらいに忙しい。そんな日も悪くない。一人の恐さに怯える事もない時間は、今の私には大切だから。
「よし、今日はもう切り上げよう。帰ろう」
「そうですね。あとは明日の午前で全部終わらせましょう」
事務所の片付けも放棄して2人で会社の戸締りを済ませ、会社の裏口から出て志島さんの車に乗ろうとした時、会社の表玄関の所が妙に明るい。
「なんだろう。ちょっと様子見てくる」
開けた運転席のドアをバタンと閉め、志島さんが表玄関の方に歩みを進めた。私もその後ろを付いて行った。

「何これ…」
そんな言葉しか出なかった。
私の目の前では会社の表玄関が燃えている。ついさっき戸締りをした時は火なんてなかったのに。今は真っ赤な炎が今にも広がりそうな勢いで燃えている。
「優ちゃん消防車呼んで」
志島さんの声で我に返る。震える手で消防車を呼ぶ。
その間、近所の人も騒ぎに気付いて駆け付けてくれて、火の手はあっと言う間に消されて行った。結局、火は消防車の到着前に消えた。 玄関前と玄関部分の壁を焼いた程度で終わらせる事が出来た。
警察と消防の人達に説明やらをしていると、近所の男性が興奮した様子でやって来た。
「こいつが俺の家の庭に隠れていたんだ。これが足元に落ちてた」
小さな灯油の携行タンクを手にして、もう片方の手で一人の人間の首元を掴まえていた。その男性が連れて来たのは見慣れた顔。

「どうして…加賀田さん、どうしてこんな事」
「わ…私、全部なくなれば良いと思った。会社も…志島さんも…そうすれば結婚なんて出来ないでしょ?」
虚ろな目で呟くような小さな声でそう繰り返す加賀田さんの姿は異常そのもの。昼間の結婚の話を聞いて、相当思い詰めた様子だった。
だけど…恋愛とは無関係な会社に放火するなんて、どうしても許せなかった。警察官2人に両脇を抱えられるようにして立っている加賀田さんの胸倉を掴んでいた。
「女でしょ?こんな形でしか表現出来ない愛情なんて本物じゃない!好きだったらどうして正面からぶつからないのよ。 真っ直ぐに気持ち伝えないで人の幸せ憎んで、最低な形で愛情表現?ふざけないでよ。女はね…」
そこまで言って静止する警官と周囲の人間の視線にハッとした。自分が相当大声で怒鳴っている事にやっと気付く。
「女は?」
加賀田さんが小さな声で聞き返してきた。
「女は…気持ちで負けたらそこで『負け組』なんだから。例え叶わない想いでも、貫き通せば誰にも負けない愛情なんだから」
「優ちゃんみたいに生きたかったな」
大粒の涙を流しながらパトカーに乗せられた加賀田さんの姿をただ見ているしか出来なかった。


加賀田さんにぶつけた言葉全部、自分に言いたい言葉だった。
好きだったのに正面からぶつかれなかった。
真っ直ぐに気持ち伝えられなかった。
あの夜、本当は孝明の元に戻りたかったのに、強がって振りかざした腕を下ろせないように、素直になる事が出来ないままで終わってしまった。
その後悔の全てを言葉にして加賀田さんにぶつけてしまった。
本当は自分に対して思っていた事。
自分に負けた。自分の気持ちに負けた。
後悔しても戻らない時間。あの夜に戻る事が出来たなら――――

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