― エピローグ ― 

 

 

好きになる女と、好きな女のタイプは別物だ――――


同僚でもあり、親友でもある健斗が言った。
最初は意味なんて、理解しているつもりで聞き流していた。
だけど分かってなんていなかったんだ。

がむしゃらに好きになった女がいた。
ヒロと呼んでいたその人は、千尋という少し背の高い、華奢な体に長い茶髪。ハスキーボイスで威勢が良く、気立ての良い女。
千尋との出会いは、会社の同僚で良く行く焼き鳥屋。そこが千尋の経営している店だった。いつも頑張っている千尋の姿を見ていると、彼女がいる自分の立場さえ忘れて、どんどん惹かれてしまっていた。
自分の横には少し派手で、お洒落とブランド品が大好きな、連れていて自慢になるような美人がいるのに、煙にまみれて汗水たらして働く、そんな千尋にどんどん惹かれた。
そんな揺れ動く気持ちを拭い去りたくて、適当に女と遊んだ時期がある。

千尋には別に想う人がいるような気がして、それでも惹かれていく自分が恐くて、自分の彼女との関係が面倒で。
頭の中がぐちゃぐちゃで、自分自身でどう整理すれば良いかも分からず自暴自棄。みっともない20代半ばのダメ男。
結局、遊び過ぎて彼女にはぶん殴られてフラれた。それも千尋の目の前で。
頭からビールをかけられるという、超情けない状況を大好きな女の目の前でやられ、それでも何事もないんだ俺は――――みたいにすまし顔をしていた。 そんな俺を見て、優しく微笑んだ千尋の笑顔を見た時、ずっとこの人以外好きになんてなれない、そう思った日を懐かしく思う。



嵐は突然やってきた。
同僚で仲の良い良太郎の結婚式。披露宴も盛大に行われていた。
北海道出身の良太郎の結婚式の感覚は、どこか本州育ちの俺からは想像も出来ないようなもので、会社の人間も親戚も大人数を招待する形式だ。
席次表に並べられた名前を見るだけで、披露宴に出ている人数の多さを実感させられた。

披露宴が始まってすぐ、隣の円卓に座っている2人組に目がいった。
一人は華やかな場が似合う顔立ちも振舞いも、場慣れしている感じの女。
もう一人は、巻き髪さえ取ってつけたように似合わなくて。どこか垢抜けない感じが残る地味な感じの女。
前者はキャーキャー騒ぎながらウエディングドレスに見入っていて、それが結婚願望の強さを感じさせるけれど、嫌味ではない感じがした。
後者はじっとウエディングを見ながら、その目の奥に感情が全くないようにさえ感じる、ちょっと掴み所のなさそうな女だった。

何となく気になる2人組だった。
あまりに対照的な2人は、仲が良いのか、それとも悪いのか。最初はそれが気になって何度も目で追っていた。
途中で対照的だからこそ仲が良いみたいだと気付いて、何だか人事なのにほっとしてみたりしていた。
何となく、後者の女が引き立て役で終わっているように思えた。

彼女は陰日向で目立たないような生き方で良いのかな。
陽の当る場所で燦々と輝いてみるとか興味ないのかな。
話もした事のない女なのに、そんな事ばかり気になっていた。
俺の目線に気付いたのは、健斗だった。
二次会でその2人組みに声を掛けてくれて、一緒に飲む事になった。
俺と優の出会い。

牧山優は本音の部分がほとんど見えない人間。
一緒にいた夏樹って娘は、結婚願望が強いのだとハッキリ分かるくらいに、自分の意志を相手に伝えられるし、賑やかな場での話し方や振る舞いを心得ている人。
対照的に、優は相手の言葉をにこにこしながら聞いているだけ、という印象。
時々、目の奥に苛立った様が垣間見られる瞬間があったりして、もう一度その目が見たくて、気付けばどうしようもないくらい話し掛けていた。
自分でもしつこいって分かるくらいに、「優ちゃん」って言いながら話題を振って。なかなか見えない本音の部分を引き出そうとしているうちに、気付けば優しか見えなかった。
酔わせるだけ酔わせてホテルに入って。その瞬間に得られた満足感、男だったら誰でも持つ『勝ち誇った気分』が得られたのに。それも優の前では何か違うように思えてしまう。

抱くのなんて簡単だった。いつもの俺だったら。
それなのに出来なかった。
酔って本音を少しずつ見せてくれた目の前の存在は、自分の殻に閉じこもったドリーマー。
泣きながら男の名前を呼ぶ姿は子供のようで、純粋過ぎて壊したくなかった。現実を知らない、いや、知ろうとしていない優は、俺が生きてきた中で出会った事のない人種。
世間知らずと言ってしまえば簡単だけれど、優の場合は少し違う。自分が思い描く理想の殻を破る事が出来ないお嬢様って感じかな。


ムカつくような感覚と、気になって仕方がない気持ち。相反する2つの感情が心を支配していくのを感じる。
それまでの恋愛感全てが擬似恋愛だったようにさえ思えてしまう。
たった一人の女、それもどうしようもないくらい夢見がちで現実を見ていない、一言で言えばダメ女の部類の人間に、心揺さぶられてしまうなんて。
どうかしている――――と気付いたのは、大好きだったはずの千尋からのメールを見た時。
【最近店にも顔を出さないし、メールもこないけど仕事忙しい?】
ハッとした。頭の中に千尋の存在がなくなっていたから。
いつも頭の中に浮かぶのも、つい口に出してしまう名前も、優だけになっていた。あれだけ好きで仕方がなかったはずの千尋を忘れてしまうほど。
会いたい。会いたくて仕方がない。優に。


俺、アホみたいだ。
会えば優に腹が立って。どうしようもなくイライラする。意地悪したくなる。
困った顔をする彼女を見て、少しほっとしている自分に気付いた。何しているんだろう…なんて自分に問い掛けてみても、止められない。
無理矢理車に乗せてデートして。バッティングセンターで笑った優の顔、今でも忘れられないんだ。
初めて見た、優の本当の笑顔だったから。心から楽しそうに笑う顔に、胸の奥が熱くなったのを覚えている。

本気の恋させてあげるよ――――なんて言ってみたものの、実は俺が本気の恋をしてしまっていた、何て言ったらどんな顔で笑うかな。
失恋・リストラや再就職でバタバタしている最中に、恋の駆け引きを仕掛けても手応えの欠片もなかった関係。
一方的にメールしても可愛気のない相槌程度のメールしか返ってこない。普通、彼氏にフラれてリストラされて、心が弱っている時に言い寄る男がいたら揺れ動くものだろ?
それさえない。揺れ動くどころか、辛くて悲しいって気持ちさえ見せてもくれない。眼中にないってまさに今の俺。優の視界に入っていない感じがした。

「優ちゃんのどこがそんなに良いの?」
健斗が真顔で聞いてきた。夏樹ちゃんと付き合う事になった健斗に、優との仲を取り持って欲しいと頭を下げていた。人にこんな事を頼むのは初めてだった。こんな格好悪い事をしてでも会いたいなんて…正直狂っているとしか思えなかった。
「分かんないんだ。自分でもどうしてこんなに会いたいのか分かんない。おかしいだろ?見てるとイライラするのに、会いたくてどうしようもないんだ。思い出すだけで胸の奥苦しくなるんだ」
「そっか。羨ましいな。そこまで誰かを想えるって滅多にない事だからな」
優しい健斗の笑顔に、頑張れるだけ頑張ってみろと言われた気がした。
無理矢理に始めた恋人という関係も、少ない時間の中で少しずつ形を変えていく。
優は勢いで付き合っただけだと思っていたのに、付き合って間もない頃に言われた一言、今でも忘れられないんだ。
『孝明が考えているよりもずっと、孝明に惹かれてるから。本気の恋させてくれるって言ったけど、もう本気の恋してるから。孝明が傍に居ない事を考えるだけで苦しいよ』
ずっと不安だった気持ちが晴れていくのを感じた。
優は俺をどう思っているんだろう。
優は付き合っていて楽しいのかな。
優の本音が知りたい――――
いつもそんな事ばかり考えていた俺に、俺の心の中に届いた優の本音。
絶対に大切にしていこう、と覚悟を決めた瞬間だった。絶対、優を不幸にしない、幸せにしていくんだと。



俺達を引き裂いたのは距離と浮気心。
会えない時間が心と関係を蝕むものだとは知らなかった。愛情があれば乗り越えられるなんて思っていた。
けれど恋愛慣れしれいない優にとって、優しくされる事、寂しさを埋めあうような依存する気持ちは、簡単に処理し切れなかったみたいだ。
後になって聞かされた、志島さん対して芽生えた恋心。聞いた時はショックで目の前が真っ暗になるようだった。
けれど、そうやって余所見をさせてしまうくらい、寂しい思いを抱かせたのも結局は俺だよな。
不甲斐ない俺のせいで傷付けて。結局はフラれて。

千尋からの突然の告白。
それは衝撃的だった。千尋が性同一性障害で、戸籍上もまだ男である事を聞かされた。俺にそれを正直に話してくれた千尋の気持ち、踏みにじれなくて、優に素直に話せなかった事。
それが別れの原因になるなんて思ってもみなかった。
「たかちゃん、私ね優ちゃんが羨ましい。だから意地悪しちゃった。大切にしてあげてね。不安で寂しくて揺れ動く女心、ちゃんと分かって掴んでいてあげてね。幸せにしてあげてね」
千尋が俺に言った最後の言葉。
例えどんな形であれ、千尋という存在に惹かれた事を恥じたりはしない。
今でも最高の女だと思っている。ただ、優の次にだけれど。
料理も上手で気立ても良くて。仕事にもプライド持って生きている、そんな千尋を好きでいられた事は誇りだ。 だけど、その誇りを守ろうとして一番大切な存在を傷つけているあたり、俺ってガキ。


最悪な気分の中国生活。絶対に成功して、出世して、しっかりとした男になって優を迎えに行こうと思えるようになるまで半月はかかった。
最初は落ち込んで、夜に一人飲み潰れるまで酒を飲んだりもして、みっともない男だった。
絶対に自分から連絡はしない。そう心に誓って仕事に没頭して。目の前にあるプロジェクトを成功させるだけでなく、次の仕事の契約を取る事も出来た。

「出産の見舞いなんて良いから、優を追い掛けて!今さっき帰ったばかりだから。駅に向って歩いているはずだから」
健斗と一緒に、夏樹ちゃんの見舞いに行った時、病室のドアを開けた俺の顔を見るなり夏樹ちゃんが言った。
すぐにその場を後にしていた。持って行った子供服、どうしたんだっけ。健斗に押し付けてきたのか、その場に落として来たのか、それさえ覚えていない。
ただ、夏樹ちゃんに優を追い掛けて、と言われてすぐに足が勝手に走り出していたんだ。掴まえたくて。優をもう手放したくなくて。

劇的に再始動した恋愛も、すでに1年を過ぎた。
明日、俺の大切な人、牧山優は31才を迎える。そして、明日で牧山優を卒業する。
新しく坂田優としての人生が始まる。
再会から1年半、俺の2度目の中国への再出張やら、優の仕事が忙しかったりで、結婚のタイミングは延び延びになっていた。 本当はもっと早く結婚を、と思っているうちに31才が目前になっていて。放っておいたら優はこのまま仕事に没頭してしまいそうな勢いに、焦ってプロポーズしてしまったなんて、情けなくて言えないよな。
仕事に楽しさを覚えた優は、前よりもずっと明るくて、どこか垢抜けなかった笑顔も、今はキラキラ輝いている。
下手だった料理も…たまに酷い状態で出来上がる時もある。だけど、それを笑い合って食べる時間が幸せだったりする。
優の不器用さが好き。
優の弱虫で天邪鬼な部分が大好き。
この先も彼女を見てハラハラしたり、イライラしたり、最高にドキドキしたり。そんな時間が続けば良い。時間と共に色褪せていくだろうけれど、色の変化さえ楽しめる夫婦になりたい。





「どうかな?」
目の前で微笑む顔に言葉が出なかった。
ドレスを着た優が、恥ずかしそうに微笑んでいた。その笑顔があまりに綺麗で。胸の奥がざわつくような感覚に苦しくなる。
「綺麗だ」
「ドレスが?私が?」
「ドレスが」
優がおかしそうに笑ってくれる。
この瞬間が好きだ。
優、俺まだまだ素直になれそうにない。
まだどこかにガキの部分が残ってる。
大好きな女をいじめて困らせたい、そんな意地悪な部分が顔を出すんだ。優が目の前にいると。
時々困らせたり、振り回してしまいそうだけれど、この先もよろしく。

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