― 2人の時間 ― 

 

 

「遅くなっちゃったね」
キッチンで片付けをしていると、時計に目を向けながら少し照れた様子で孝明が呟く。
「そうだね。もう22時になっちゃうね」
「お風呂にお湯入れて来るね」
そう、帰宅してから玄関でキスしたりを繰り返して、晩ご飯の時間も遅くなってしまっていた。年甲斐もなく、時間を忘れてキスしちゃうなんて。 これが人の話であれば『大人気ないなー』なんて答えてしまいそう。

「なんか2人でこうしてるのも楽しいよね」
2人で並びながら食器を洗う時間さえ、今は楽しくて仕方がない。
「でも、男の人がこうして手伝ってくれるのって最初だけなんでしょ?」
「どうなんだろうね」
孝明の手元ですすがれている食器がキュっと音を立てた。
慣れた手つきでどんどん洗っていく様子はは、今まで一人暮らしをしながら、自分の事をしっかりとやっていたのだと思わせてくれる。

きっと時間と共に、こうして2人で何かをする時間の有り難味も薄れてしまうだろう。両親を見ているとそう思える。
昔としては珍しく、父は家事を率先して手伝ってくれる人間だったと母が教えれくれた。けれどそれも最初だけ。 段々と子育てに手のかからなくなった頃から、手伝ってくれる時間が減った、と母が嘆いていたのを思い出す。
けれど、先々まで視野に入れての恋愛なんてつまらない。今目の前にある幸せを、幸せだと感じながら楽しむ事も必要なのかも。
もちろん、私がそう考えられるようになったのも孝明と出会ったから。元彼の幸治と付き合っている時には、こうして恋愛の1コマを楽しんだり、喜んだりする余裕なんてなかった。 安定が欲しくて可愛い子ぶるので精一杯で、随分と無理していたように思う。


湯船に浸っている間ぼんやりと天井を眺めていた。自分の家のお風呂以外で、こうしてゆっくりと湯船に浸かるなんて事今まであったかな?
もちろん温泉とかは別で、人の部屋のお風呂に一人でゆっくり入るなんて経験ないかも知れない。ふと同棲≠ニいう言葉が頭の中を過ぎる。 そして、その言葉に自然とにやけている自分に気付いて、慌てて体を洗って浴室を後にした。

リビングのソファーで気持ち良さそうに寝ている孝明の顔を見ると無性に愛しくなる。
起したくないのに、抱き締めてしまいたくなる。触れたいのに、恐くなる。
子供のように眠る横にそっと腰を下ろしても、全く起きる気配がないのを確認してから、そっと頬に手を伸ばす。静かに聞こえる寝息だけが耳の奥に届く。 温かい頬にこうして触れられるのも自分だけなんだ。そう思うだけで強くなれる気がする。
結局、再会1日目は孝明の移動疲れもあって、23時過ぎには眠ってしまう。3人掛けの長いリクライニングソファーに、2人で身を寄せ合って眠った。

「あれ、俺寝てた?」
早朝5時半、やっと目を覚ました孝明。ソファーの上に居るのに気付いて、あまり長時間寝ていた自覚がないようだった。 「おはよう。気持ち良さそうに寝てたから起せなくて。掛け布団持ってきた」
「うわ、もう朝じゃん。こんな狭い場所にずっと寝てたんだ。優は身体痛くなってない?」
優しく微笑み、心配そうに顔を覗き込まれる。その笑顔にドキッとしてしまう。
「大丈夫だよ」
「そっか良かった。優の仕事まで時間はまだあるし、もう少しの間くっついてて良いよね」
私を包み込む腕が、ぎゅっと体を引き寄せてくれた。その時、嬉しさと同時に込み上げた苦しさ。心の奥、締め付けられるように苦しくなる。
独占したい。孝明の存在を。
誰にも渡したくない。そう考えるだけで苦しくなる。
髪の毛を揺らす彼の吐息も、胸に触れた頬に伝わる鼓動も、全て自分だけのものであって欲しい。そう願ってしまう自分がいる。

「あと2泊したら中国に戻るのか」
「短いね」
また会えない時間がやって来る。その事実が重い。
「行きたくないな。優の近くに居たい」
「何言ってるの。仕事だから仕方がないじゃん」
言葉と裏腹に涙がこぼれ落ちる。仕方がないって口にしていないと割り切れないくらいに苦しくなるから。
「泣かないでよ。今日、仕事に行かせたくなくなるじゃん」
「泣かせないでよ。目が腫れちゃうでしょ」
目が合って、不安そうな顔をしているお互いの顔を見たら、今度は急におかしくて。笑いながら涙を拭いた。 強がりの私が少しずつ素直になれる。今まで人に見せたり出来なかった自分も見せられるようになってきている。
けれど、まだ聞けない事がある。千尋さんの事。
孝明が素直に話してくれたヒロ≠フ存在。今はどう思っているのだろう。聞けばきっと『優が一番だ』って言ってくれると思う。
けれどそれはヒロに好きな男がいる≠ニいう理由があって失恋したから。もし、今になってヒロ≠ェ自分に想いを寄せていると知ったらどう思うのだろう。 2年も思い続けた人が、時間を経た今になってから振り向いてくれた時、私という人間はどうなるのだろう。そう思うと聞けないまま。



「じゃあ仕事が終わったら連絡する」
駅の改札を前に横に居る孝明の顔を見上げた。
「うん。駅まで迎えに来るからね」
優しい笑顔に見送られて改札を抜けた。振り返るとまだこちらを見ていた。手を振って人込みに巻き込まれ、お互いの姿が見えなくなるまで何度も目で追った。 姿が見えなくなると不安が押し寄せた。このまま、孝明に会えなくなるんじゃないか、なんて一人考えたりして。 まだ2泊あるのに。離れ離れになる恐さが押し寄せる。


仕事中は早く帰りたくて、無我夢中で仕事をこなして。
あまりに殺気だっているのか、それとも大人気ないくらいの恋愛一筋モードな事に失笑しているのか、皆仕事に集中させてくれるように雑用の少ない日だった。
昼休みに入る頃、志島さんが『聞いてると思うけど、私用があるから夕方まで戻らない』とだけ告げて居なくなった。聞いていない気がする。 ううん、聞いていても孝明の事で浮かれていて頭に入っていなかったのかも知れない。 だから聞いていましたという顔をして誤魔化して、笑顔で送り出してみた。
「あれ、社長どうしたの?昼なのに納品?」
林さんが不思議そうな顔で聞いてきて、私用である旨を告げて笑顔で誤魔化す。
昼休み、休憩室には行かずに事務所の中でお昼ご飯を食べながら、携帯電話を開いてみた。昨日、孝明のマンションに行ってから今まで、携帯を見ていなかった事に気付く。

【不在着信2件・新着メール1件】
全部夏樹だった。書かれていたのは夏樹の優しい想い。
孝明とうまくいって欲しい事、志島さんの事で心揺れ動いて欲しくない事、仕事や恋愛を楽しい≠ニ思う瞬間を見付けながら日々を生きて欲しい事。
そんな私を気遣った言葉の後半には夏樹の切ない想いも綴られていた。妊娠が判って嬉しかったと同時に不安になった事。 社会から取り残される不安や葛藤、未婚の友人と距離が出来る事への恐怖心があった事が綴られていて、それでも幸せに向かって進めるのは、傍に大好きな人がいるからだと書かれていた。
だから――――今日、志島さんと2人で、志島さんの彼女の面会に行くと書かれていた。 仕事が忙しくて、ここ最近面会に行っていないのは知っていた。志島さん本人が口にしていたくらいだから。
【2人にとって、何が一番大切なのかを再認識して欲しい。寂しいだけで誰かに寄り掛かる事は、幸せへの近道なんかじゃないんだよ】
そう締めくくられたメール。読んでいて泣けた。
自分の甘さをストレートに指摘してくれる夏樹の優しさや勇気に、気付けば涙が溢れて止まらなかった。 妊娠していて、自分の目先の幸せだけ見ていれば良い立場なのに、負け組にむかって進みそうになっている私の行き先を案じてくれる。
私は夏樹の苦しさになんて気付けていなかったのに。
夏樹はいつも私の弱さを救ってくれていた。
あまりの自分の身勝手さに涙が溢れた。今を大切に生きる事、目の前の幸せを大切にする真っ直ぐさに鈍感だった事を恥じよう。そう気付かせてくれるメールだった。


夏樹のおかげで2泊目の夜は、今までになく孝明に甘える事が出来た。
駅まで迎えに来てくれた孝明に素直に笑顔で『早く会いたかった』なんて言えたし。そんな一言に孝明も喜んでくれたりして。
素直になる事の大切さを学んで、これから先上手くやっていけるんだ――――なんて甘い考えを持ったばかりだったのに。目の前には不幸の入り口が近付いていたんだ。

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