― 人の本音って? ― 

 

 

散々泣いて、泣きつくして迎えた土曜日。
目覚めた時に目に飛び込んだのは、見慣れない天井だった。
昨日、泣きつかれて孝明のベットで眠りについた。 掃除をするだけのつもりで来たのに、泣きながら溢れ出る涙を止めることも出来なくて、孝明のベットで眠りにつくまで散々泣いた。

孝明が中国に向ってからの2ヶ月間、寂しいと思う気持ちが薄いなんて思っていたのに。
今まで経験した失恋よりも心を抉り取られるような痛みに打ちひしがれた。
たった一人、孝明という存在が居ないだけで、こんなにも辛くなるだなんて想像も出来なかった。 知り合ってからの時間も、付き合ってからの期間も短いのに。心の大部分の領域を持っていかれている気がする。
今までの2ヶ月間、私を守り続けてきたもの。それは傷付きたくない≠ニ願う気持ち。
その気持ちが悲しさや寂しさを、心の奥に封じ込めていたのかも知れない。もう傷付かないように。 過去の失恋の時のように、心がボロボロになるような道を避けようと必死だったんだと思う。



孝明の部屋のベットの上に寝転んで天井を仰ぐ。
らしくない事を考え込んだりしていた。
人が生きるのって難しいなんて、何時間も考えた。
生きることは、人を傷付けもするし、傷付きもする。避けて通るなんて出来ない。 嬉しい事ばかりでは、日々の出来事の有難さもうすれたりするだろうし、かと言って辛い事ばかりではめげてしまう。
人は誰でも傷付く。それでも明日を前向きに生きるのに必死なのは、明日が明るいものだと信じるから、なのかな。 私が傷付けた人って結構いる。

■勝博の奥さん。
 勝博と不倫している間、奥さんはどんな想いで家で待っていたのかな。
■元彼の幸治。
 私を本当に好きでいてくれていたのに。私はただ安定が欲しくて傍にいただけだった。
■加賀田さん、林さん。
 志島さんと恋愛して欲しくない2人はそれなりに今の状況を見て、快くないに決まっている。
■志島さん。
 ただの上司と思っている、と言えれば…切ない想いは少なくて済んだのかも知れない。
■千尋さん。
 孝明を好きな彼女は、どんな気持ちで私と孝明のデートする姿を見ていたのかな。
■そして孝明。
 真っ直ぐに、一番に私を想ってくれるのに、志島さんに惹かれて余所見をしてしまった。

簡単に数えるだけでも沢山の人の痛みの上に、今の私がある。
その逆もある。私の心の痛みの上に誰かの幸せがあったりもするんだけれど。
『ただ1日を過すなんて勿体無い。今目の前にある1日は、自分が積み重ねた時間の結果なんだから。無駄に生きたくなんてない。 今を無駄にすれば、この先の私の人生が無駄になる気がするから』
ふと夏樹の言葉が頭を過ぎった。
夏樹はいつも底抜けに明るくて、落ち込むとかあまりないけれど、それって芯にしっかりした考えがあるからかな。
だからこそ幸せな道を歩む事が出来る。
私も変わらなくちゃ。大切なものをこれ以上失うなんて絶対に出来ない。 自分の幸せを守るために出来る事はしっかりやろう。未来の私自身のために。



自分の中での決意とか、考える事はしっかりしてきてはいても、それを実行する事は難しい。
実際、加賀田さんが私に対して抱いている不満の芽を、何とか摘み取りたいと思ってもどうにも出来ないでいた。
そんな私の様子に気付いたのは百田さんだった。
「優ちゃん、一緒に納品に付き合ってくれよ」
昼過ぎに声を掛けてきた。軽トラに乗り込んで2人で向った大型雑貨店。 納品量も多くて、トラックの荷台に積み込んだ荷物を次々と運んだ。

「いやー手伝わせて悪かったね」
「いえいえ。たまには外に出るのも良いから」
「優ちゃん、何かあった?最近元気ないよね」
真剣な顔で覗き込まれた。その答えに詰まった私を見て、何か察するものがあったのか静かに話し出す。
「社長の事で誰かの何かされた――――とか?」
「え?どうしてそんな事…」
違います、と言い切れば簡単だったのかな。
「何となく…いや、正直に言えば前の事務員さんも色々あったから。林さんには『私のイジメが理由って事にしときなさい』 って散々口止めされてるんだけど…今まで2年間に入った事務員さん3人いるけど、そのうち2人が会社帰りに男に襲われて。 偶然にしては続くだろ?」
「2人もですか?」
驚いて言葉を失った。

「そうだ。今回の事も聞いた。息子が通らなかったら…って林さん落ち込んでた。林さん、優ちゃんの事気に入ってる。 娘みたいな目で見てるから。俺と林さんの中では一人の人間が、そういう事を引き起こしているのも気付いているんだ」
「加賀田さんですよね?」
私の問いに、百田さんは驚いた顔をする。
「知ってたの?」
「気付いたんです。加賀田さんのストラップに付いている鈴の音が、無言電話掛かってきた時に受話器の先から聞こえた音と同じで。 加賀田さんは志島さんの事が好きだから、だから私が目障りだったんだろうなって」
百田さんは深い溜息をついた。
「社長が優ちゃんを気に入るのは寂しいからなんだ。結局は――――」
「結局は戻るべき場所がある。戻ってくる人がいる。それは変えようのない事実で、今の感情が全てではない。ですよね?」
「参ったな。言いたい事全部、優ちゃんに言われちゃったよ」
照れたように笑った百田さんは、ハンドルを握り締めて車を発進させた。

「もう大丈夫ですよ。私、彼氏いますし。加賀田さんも分かってくれる日が来ると思うんです」
「だと良いな」
本当に加賀田さんが分かってくれるかどうか、不安がない訳ではない。
だけど自分の中でハッキリした事が一つだけある。孝明が良いって事。志島さんを見てときめく気持ちは否定できない。
だけどそれは寂しいからだと思う。たった一人、孝明が居ればそれで良いと思えるんだから。 だから、どんなに加賀田さんが誤解をしたとしても、私の中にある気持ちに変わりなんてない。多分…。



沈んだ気持ちを抱えたまま、それでも会社の中では普通に明るく振舞う。
加賀田さんとも普通に会話して、笑顔を交わす。心の中に抱える黒い感情はおくびにも出さずに。 もしかしたらイタズラ電話の犯人は加賀田さんじゃないんじゃないか?なんて思ってしまうほど、加賀田さんは優しく接してくる。
「優ちゃんの彼氏、日本にいつ戻って来るの?」
「実は、今日帰って来るんです。一時的にですけど」
「じゃあ、今日は残業しないで帰らないと。仕事残るようだったら私手伝いますよ」
加賀田さんがにこりと笑いながら、話に入って来た。
林さんは加賀田さんが居る前でよく彼氏≠ノついての話題を出してくる。今だって『いつ戻って来るの?』なんて聞いてきて。 いつでも聞けるのに。最近ではメールのやり取りも始めたって言うのに。
百田さん曰く、加賀田さんに彼氏が居て上手くいっている事をアピールする方が安全だろうって事だった。

実際、孝明の話をしている時の加賀田さんは、とても明るく嬉しそうに話に入ってくる。
談笑を終えて事務室に戻ると、いつもの笑顔の志島さんが居る。
「相変わらず林さん声でっかい。話ここまで聞こえてた。今日は残業しないで帰らないとね」
「はい。定時までには仕事片付けるようにします」
「代休取って早く上がっても良いんだよ。いつも遅くまで頑張ってもらってるし」
その気遣いが息苦しい。
『優ちゃんに惹かれる』って言ってみたり、こうして孝明との関係についての話題を笑顔でしてみたり。 志島さんの本音が見えない。綺麗な笑顔の裏に隠された本音≠掴み取るのは難しい。

男の本音――――か。
パソコン画面を見つめて溜息をついた時、志島さんが小さな声で呟いた。
「もし、俺の事で迷惑掛けてたら素直に言って」
「え?」
顔を上げると切なそうな笑顔が向けられていた。
「なんでもない」
もしかしたら、加賀田さんの事を言っているのかな。加賀田さんの気持ちや、イタズラ電話の事とか気付いている? 林さんと仲が良いから、何か聞いているのかな?

そんな疑問が頭の中を駆け巡り始めた時、一つの場面が頭を過ぎる。
志島さんが前に何度か見せた鋭い視線。
加賀田さんを捕らえる視線があまりに冷たかったのを思いだした。 やっぱり…志島さんは加賀田さんのしている事、過去の出来事も全部分かっているのかな。
確かめずに居られなかった。
「加賀田さんの事ですか?」

私の言葉にゆっくりと顔を上げた。窓から眩しい程に差し込む日差しが、志島さんの背後から降り注ぐ。
眩しさに目を細めてしまいたくなる。私の視線が捕らえた笑顔は、あまりに弱く、あまりに綺麗だった。

――――――――――――――――――――――――――――

NEXT→ 4章14

BACK→ 4章12

TOPページへ

ネット小説ランキング>現代・恋愛 シリアス>負け組にむかってに投票

ランキングに参加しています。応援お願いします。

 

 

inserted by FC2 system