― 金曜の夜の真実 ― 

 

 

人間って嫌な事があると、その原因を嫌いな人間に押し付けてしまう。
それが真実を歪める事もある。

私は孝明が日本に帰って来る事への喜びよりも、心の中の不安に押し潰されそうになっていた。 会社から家までの道のりが恐く感じるなんて、普通に生きていたらまずない事。
それなのに私は、会社から駅までのそう長くない道のりを歩けない程に怯えている。
この前の出来事だけではない。
携帯電話にさえイタズラ電話が掛かってくるようになっていた。
相手が誰なのか見えないせいで、心の中には恐怖と猜疑心が渦巻く。


『大丈夫なの?それって相当危ないじゃん』
「そうなの…きっと相手はヒロ≠チて女だと思う。孝明の事を好きだって言われたし。他に恨みを買うような覚えもないし」
夏樹は電話口で、ふーんと素っ気無い返事をして少しの間黙った。
『でもヒロ≠ヘ会社は志島さんの所だって知ってるにしろ、携帯調べたりしてるのかな。 他の人間に依頼して、優が変な男に公園のトイレに連れ込まれそうになるくらいだから、その位してもおかしくないだろうけど』
「どうなんだろう。そうやって傷付ける人間の気持ちなんて分からないから」
『私は分かるかな。好きな人を独占したい、どんな手を使ってもと思うドロドロした部分って皆持ってる。 だけど、優に宣戦布告を真正面からするような人が、影で人を操るみたいな事をするとは思えないんだよね。 影でコソコソ手を回す人間なんて、大半は本人の前では優しく笑ってるもんじゃない?』
夏樹の言葉で昔の会社の事が走馬灯のように走り抜ける。

そうだった。女のイジメや嫉妬は陰険。
前の会社も数百人も従業員がいる中、沢山の女のバトルを目にした。
大抵の場合、喧嘩の中心にいるのは地味で目立たない娘、新入社員で可愛い娘、仕事の出来ない娘。 そしてイジメをする側に居るのは、男性社員にはウケが良い愛想の良い人間だったりする。
綺麗な化粧をほどこして、作り笑顔で皆に接する。そんな女性人がイジメの主導者だった。
本人達を目の前に「そんなんじゃダメなのよ」とキツイ口調で言う人達もいたけれど、イジメに加わるなんて事はまずなかった。
影で言うくらいなら本人に言った方が相手のためにもなるんだ、なんて言う人もいた。

今もそれと同じかも知れないし、同じじゃないかも知れない。
千尋さんが私に笑顔で接するなんて簡単だったはず。あの時に普通に笑顔で接客すれば良かっただけの事。
それを正面から孝明を好きだと言うのは――――宣戦布告。
けれどそれはきっと真っ向からの勝負。影で操ってなんて、夏樹が言う通りないのかも知れない。
かと言って他に恨みを買うような覚えもない。まして携帯の番号を教えている人間だってそう多くはない。 身近に居て、私が恐がっている様子を笑って見ている人間が居るのかも知れない。そう思うと悔しくなる。


夏樹と散々話して電話を切ると同時に携帯が鳴る。
【非通知】の文字が画面におどる。心臓がバクバクと大きな音を立てる。軽く震える手で通話ボタンを押した。
「もしもし…」
『――――』
「もしもし。どちら様ですか?」
何度問いかけても相手が答える事はない。いつもこうだ。無言でだまり続ける。
チリン≠ニ受話器の向こうから聞こえてきた小さな音。鈴の音。どこかで聞いた事のある小さな小さな音。
今まで何度も掛かってきた無言電話。その度にこの鈴の音が聞こえる。耳にこびりついて離れなくなる。 そのまま電話が切れて、心の中にはただモヤモヤした気持ちだけが残る。

布団に入って目を閉じた。
孝明が帰って来るまであと少し。今はそれを支えに乗り切ろう。 自分自身に言い聞かせながら。



非通知の着信を拒否して2日。
無言電話に悩まされる事はなくなった。心の中のモヤモヤが消えたのかと聞かれれば、まだ消えてないんていない。
それでも電話を取らなくても良いだけで気持ちは随分と楽になった。
ただ、今度はメールが届くようになった。捨てアドレスから来るメール。何度拒否してもアドレスを変えてくる。
お手上げに近かったから、メールを開封しないで捨てるように心がけていた。 私、こんな事で躓いている余裕なんてないのだから、と自分に言い聞かせていた。


仕事を終えて駅までは志島さんが送ってくれる日々。なるべく私が気にしないように、その時間帯に納品の予定を入れてくれている。
「優ちゃんもう終わって良いよ。俺、これから納品に行くから駅まで送るよ」
「いつもすいません」
色気があるとは言えない軽トラック。その助手席に腰掛ける。
特別話す事もないまま駅にはあっと言う間に着く。
「早く落ち着いた生活が出来ると良いね。それまで皆でフォロー出来る部分はするから」
「ありがとうございます。ご迷惑ばかり掛けてすいません」
車を降りて一礼すると、志島さんは運転席から軽く手を振って車を発進させた。その姿を見送ってから駅のホームへと向う。

ホームは家路を急ぐサラリーマンが多い。
壁に寄り掛かり携帯を取り出した。孝明の番号をメモリーから呼び出す。もう少しで会える。
「あっ」
思わず出た独り言。そう言えば掃除に行っていない。
孝明の部屋に掃除をしに行かなくちゃいけないのに、最近のバタバタで行かないままになっていた。 来週には帰って来るのに。今日は金曜日。
家に真っ直ぐに帰るつもりだったけれど、行き先を孝明のマンションに変える事にした。

「牧山さん」
すぐ後ろから掛けられた声。聞き覚えのある声。その声に振り向く瞬間背筋が凍った。 何度も何度も聞いた、あの鈴の音が同時に聞こえた。
振り返るとそこには笑顔の加賀田さんがいた。
「加賀田さん、どうしたの?これからお出掛け?」
「うん。牧山さんは?」
「彼の部屋に行こうと思って」
話をしている間、加賀田さんは始終にこやか。いつも職場で会う加賀田さんと何ら変わりがない。

加賀田さんが手にしている携帯に目を向けた。小さな鈴が付いているストラップが揺れている。
「可愛いストラップだね」
「そうでしょ?」
嬉しそうに微笑む彼女を見ながら、もう一度音を確かめたくて手を伸ばす。
その瞬間、加賀田さんの表情が強張る。一瞬見せた苛立ちの顔。
「あっごめん。このストラップ宝物なんだ。だから…」
「私もごめん。そんなに大切な物だって知らなくて」
いいのよ、と微笑んだ顔。それと同時にもう一度揺れたストラップ。 やっぱり何度も無言電話の先から聞こえた鈴の音と同じ。

心臓がバクバクと音を立てていると、ホームに電車が滑り込んでくる。
同じ車輌の隣の席に腰を下ろした加賀田さんに、かなりの気まずさを覚えながらも逃げる術を見つけられないでいた。
加賀田さんは志島さんの事が好きだったんだ。
「彼と仲良いの?」
「まだ付き合って日が浅いけど仲良いですよ」
「そっか、羨ましいな」
安心したような表情で、加賀田さんが優しく笑った。
「加賀田さんは?彼氏とかいないの?」
「いないよ。こんな見た目だし。振り向いてくれる人なんていないよ」
そう呟くように言った瞬間の寂しそうな目を、きっと忘れてしまう事なんて出来ない。

かける言葉がないまま、電車は目的の駅に着いてしまった。
「私、ここで」
「また明日」
電車を降りてから振り返る事が出来なかった。どんな顔で私を見ているのかを知るのが恐かった。 その場で、人波に逆らうように立ち尽くしていた。ううん、動く事が出来なかった。
加賀田さんが無言電話の犯人に違いない。私の携帯番号だけでなくメールアドレスまで知っている人間はそう多くない。
もっと早く気付くべきだった。原因は孝明と私の関係にあるんじゃなくて、志島さんと私の関係にあるのだと。



私随分と我侭だったんだと気付かされた。ない物ねだりにも程があったんだ。
彼氏がいて、十分な程に想われている。そりゃ…千尋さんの問題はあるけれど。
それでも付き合って幸せな時間はいっぱいあるのに、綺麗な顔立ちの優しい男に惹かれて、心の中で どうしよう≠チて思う自分に酔いしれていただけ。
好きな人に『好き』と伝えられない人だっている。
コンプレックスを抱えて生きている人間だって多くいる。
時に、恋が成就しない理由を人に押し付けてしまう人だっている。
そんな不器用な人の心を抉り取るような事をしていたんだ。
志島さんに好きって言えない加賀田さんの心、ボロボロにしていたに違いない。


孝明のマンションに着いて、玄関に入ると懐かしいにおいがする。
私を大好きでいてくれる、私に幸せを幾度となく与えてくれた孝明の部屋。
急に目から涙が溢れた。
私、自分が思っている以上に寂しい。孝明が身近に居なくても平気だと思っていたのに、胸の中が苦しくて仕方がない。 この部屋に来なかったのは忙しかったからだけじゃない。本当は恐くて仕方がなかったんだ。
無意識に避けていただけ。
自分が寂しくて寂しくて、孝明という大きくて温かな、太陽みたいな存在が傍に居ない事を実感したくなかったんだ。
「たかあき…」
誰も居ない部屋で声を出して呼んでも彼は居ない。そんな当たり前の事にまた泣ける。
ねえ孝明、抱き締めて。心の中、寂しさでいっぱいだよ――――

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