― 複雑な心、絡み合う現実 ― 

 

 

あっけない。何事も。
もちろん自分の感情のぶれ≠烽ヒ。
誕生日の朝、孝明と別れてから会社に着くまでの時間、人目も気にならないほど、何度も泣きそうになった。
切なくて、苦しくて、このまま呼吸困難になって命を落とすのか、なんて不安になるくらいに、心が締め付けられるように苦しかった。
それなのに人間って不思議なもので、本人を目の前にしていなければ感情って徐々に落ち着いてくる。

あれだけ切なかった気持ちも、どこか諦めに近いものが占領し始める。
『仕方がないよ仕事だし。時々帰って来てくれるだろうし。一生の別れじゃないもん。寂しいのは今だけ』
そんな言い訳じみた言葉で、自分自身を落ち着かせようとしている。
孝明からのメールの回数も増えた。
中国に着いてからというもの、1日に何通もメールが来る。
そのメールの中にある【優と離れたばかりなのに会いたい】と言う文字を見て、心の奥がふっと温かくなるのを感じる。 どこかで信じ切っている。孝明は私を手放さないでくれる。私に幸せをくれる人間なのだと。
心が離れる事なんて絶対にないんだ――――そんな根拠の欠片もない、自分の価値も見誤ったような考えが大きくなっていた。


誕生日から2日後。
夏樹と一緒に会う約束をしていたので、仕事が終わってから家とは反対の歓楽街に向う。
夜の街はネオンが煌びやかで、私が普段の生活の中で見ている景色とは正反対の危さを感じさせる。 すれ違う人のほとんどはスーツに身を包み、女の人はワンピースを着たりして綺麗な格好をしている。
そんな中、私は仕事の帰りだから着古したジーンズにチュニックという、周りから見れば見劣りする服装。 はっとさせられた。今まで仕事を失いたくなくて、仕事を覚えるのに一生懸命になり過ぎて気付かなかった。
なんだか私…ちょっと違う≠チて事に。
独身で仕事していて、同じくらいのOLは綺麗にメイクして可愛い服を着て会社に向う。 私も数ヶ月前まではそうだったのに。気付けば流行のメイクもしなくなっているし、服装も動きやすさを優先している。
ヒールだって7cm以下なんて女の履物じゃない≠ネんて思っていたのに、今では5cmもないヒールのサンダルで通勤している。 これってオバさん化してるんじゃない?なんて不安になりながら、すれ違う人の姿と自分を見比べたりしていた。
逃げ出したくなる気持ちを押さえるのに必死だった。

見栄っ張りで典型的な日本人気質なんだと自分の欠点に気付かされる。
周りと違う事がこんなにも不安になるなんて。
スーツ姿や綺麗に着飾った群れの中に、普段着で身を置く事が恐い。 仕事を失った時に地下鉄の入り口を前に感じた違和感が蘇る。
仕事に向う事もなく途方にくれた状態で地下鉄の入り口に向った時、目の前には蟻がぞろぞろ行進していた。 スーツに身を包んだ蟻が巣穴に入るように、地下鉄駅の入り口へと吸い込まれていくのを眺めた時に感じた違和感。
『ダレカトオナジ、ヒトトチガワナイ アンシンカン』に包まれながら生きている自分に気付く。
そもそも、どうして結婚に対しての焦りがあるのだろう?
そんな疑問がふと頭を過ぎった時「優、お待たせ」と夏樹の声で現実に引き戻された。

「結婚おめでとう」
「2日遅れだけど誕生日おめでとう」
お互いに伝え合うおめでとう。けれど重さが全然違うのも事実。
29才になる、半分嬉しくもない現実に対してのおめでとうだし、結婚という人生の一大事のおめでとうだから。
私は現実を直視するしかないのに、夏樹の目の前にあるのは素晴らしい現実と、希望あふれる夢。
その差って大きい。私と夏樹の何が違うのかな。
仕事に対しての姿勢? まあ…多少なりあるかな。
友達に対しての優しさ? ここはかなり大きいよね。
自立の度合い? 考えると立ち直れないくらいに凹むのが目に見ている。
自分の頭の中にガツンと圧し掛かる重石のような悩みの種を、勢い良く放り投げた。
まさか、その種たちが後々芽吹いて、大輪の花を咲かせてくれるなんてね。 人生ってどこまで非情で皮肉なのかな。


清水友也が少し遅れてやって来た。
「待たせちゃってごめんね」
スーツ姿で現れた友也くんは、麻奈美の結婚式で会った時の無口な印象とはかなり違っていた。爽やかに着こなしたスーツ。髪の色も明るくなっているけれど、決して下品ではなくて。前よりもずっとお洒落になっていた。
「優、友也くん変わったでしょ?」
「本当に変わったね。前はもっと大人しい感じだったから驚いた」
夏樹の嬉しそうな声に頷きながら呆気に取られていた。
「夏樹ちゃんに服装とか髪型のアドバイスもらったりしてイメチェンしたんだ」
「そのおかげで、この前紹介した女の子と付き合う事になったんだよ」
「そうなんだ。彼女できたんだね。おめでとう」
嬉しそうに笑う智也くんと夏樹を見ながら、恋愛ってこんなに簡単に始まるものなのかな?なんて思ったりもした。 けれど、私と孝明も同じだよね…。お互いを良く知りもしないで付き合ったんだから。

「さーて、彼女出来るキッカケを与えたんだから、今日はそれなりに口割ってもらうわよ?」
笑顔で友也くんの顔を覗き込む夏樹。友也くんは参ったな、という表情をしながらも色々と話し始めた。 やっぱり大企業に勤めている事もあって、合コンや結婚式の2次会では健斗くんも孝明もよくモテたらしい。
けれど「肩書きに寄って来る女はダメだな」が2人の口癖だと言う。 何度もそういった関係に辟易させられたのだろう。
「健斗は夏樹ちゃんと出会って、『こんなにポジティブな人間居るんだ』って驚かされたみたいだよ。 最初は軽いのかな≠ニか思いながら2次会を抜け出したのに、行き先はホテルでもお洒落なバーでもなくて、 ストリートミュージシャンが歌う街角で、延々と歌を聞かされた時は驚いたって言ってた」
「あはは。3時間くらい聞いてたかな。しかも缶ビールを飲みながらね」
友也くんと夏樹のやり取りに驚いた。あの後…それなりの場所に行っていると思っていたから。

「街角で歌う夢見る若い人、夢を捨て切れない同年代や年上の人を見てると、夢を見続ける事の大切さを思い出させてくれるでしょ?」
「健斗もその言葉聞いて、夏樹ちゃんって心が純粋だって思ったみたい」
へえ…純粋。思わず苦笑いしそうになった。 4年も付き合って同棲していた彼氏も居たのに。健斗くん目当てに乗り換えたのに?なんて心の中で皮肉を並べていた。 私って性格悪い。
「でも純粋じゃないんだけどな。最初は2股だったし」
あっけらかんと言う夏樹を見て、こちらがドキリとさせられる。
そうか、夏樹と私の違いは素直さだ。夏樹は自分の良い面と悪い面をきちんと把握している。 そして自分の悪い部分から逃げない。嘘を付いて正当化したり、奇麗事で隠したりはしない。
だからこそ幸せを掴めるに違いない。

「孝明の事、聞きたいんだよね?」
友也くんに顔を覗き込まれ、一瞬言葉に詰まる。聞きたい。
けれど正直言えば聞くのが恐い。きっとモテたんだろうな、と察しがつくから。
無言のまま、ゆっくりと頷くしか出来なかった。
「孝明は結構モテた。って言っても本人がそれを相手にしてはいなかったけど。 2年前に彼女と別れてからは女の影らしきものもなかったよ。好きな女は居たけど」
「うん、知ってる。ヒロって女の人の事が好きだったって話してくれた」
心臓がドキドキしっぱなしだ。これからどんな話が出てくるのか不安で仕方がない。
「聞いてたんだ。チヒロの事」
チヒロ?千尋…ってあの千尋?
孝明の言うヒロ≠チて…あの焼き鳥で会った千尋さん?
頭の中で暴走を始めた考えに、友也くんが気付くはずなんてない。私の心の中の暴走をよそに話が続いた。

「2年前、千尋には好きな人が居たんだ。孝明は千尋と一緒に居ると落ち着けるって言ってた。だけど千尋はその頃ボロボロでさ。 千尋が好きだった人には彼女が居て、彼女の事で傷付いているのを目の当たりにしながら心がボロボロになってたんだ。 孝明はそんな千尋を救ってやれないって落ち込んだりして。結局想いを伝えられないまま2年が経ってた。 そんな時、優ちゃんと出会ってさ。それから孝明は明るくなった。優ちゃんの事が凄く気になるって、結婚式の次の日から大騒ぎだったよ」
苦笑いをしながら話される言葉に、少なからず嬉しさもある。
けれど、千尋さんを好きだった事を知ってしまった事への動揺は大きい。
「その…千尋さんは、好きな人と付き合ってないの?」
不安を拭い去りたくて聞いてみた。付き合っている――――そんな答えが欲しかった。
「付き合ってないよ。その彼は待ってる人が居るから。きっと割って入るなんて出来ない」
「強い結びつきのある人を好きになっちゃったのね」
夏樹の言葉に友也くんは頷いた。
「うん。千尋が好きになった人の彼女は交通事故を起して服役中なんだ。彼はずっと出所を待つって決めたらしいよ。 『彼女が背負う罪を、一生共に背負って行く』って言われたって泣いてた」
夏樹と視線がぶつかる。

交通事故?彼女が服役中?そして…それが2年前の出来事?
頭の中に一枚の写真が浮かんだ。
千尋さんの店に貼られていた志島さんの写真。
もしかして―――― 千尋さんが好きだった人って志島さん?
孝明の過去に触れると言う事が、こんなにも多くに繋がってくるなんて。
心の準備が追いつかない。ジョッキの中のビールを一気に流し込んだ。自分の心に勢いが欲しくて。
落ち着け私! 自分の心に渇を飛ばした。

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