― 動き出すこれから ―
 
 
朝陽が昇る頃まで起きていたせいもあって、2人で熟睡してしまっていた。
目を覚ますと、時間はとっくにお昼を過ぎている。
「もう起きるの?」
甘えるような、眠たそうな顔でぎゅっと抱き締められる。
「まだ起きないの?」
「寝るのも勿体ないけど、こうして優を抱き締めていられる時間を満喫したいの」
本当、寝起きでそんな言葉言うなんて反則。
「あ、優の顔赤い。こういう反応大好き」
おでこに触れる柔らかい唇。何度もキスしたりしているけれど、こんな事を自然にされるとやっぱり照れる。
「もう!からかわないでよ」
「優の反応がいちいち可愛いからでしょ?」
言いながら顔を覗き込まれたり、頬を優しく撫でられたりする。可愛いなんて言葉、ずっと無縁だった。
見た目だって普通で、どちらかと言えば引立て役ばかりの私に、可愛いなんて言葉を向けてくる男なんて稀。
慣れてない『可愛い』を連発してくる孝明の言葉が本音であれ、嘘であれ、やっぱり嬉しくなる。
日曜の朝、曇りの天気も気にならないほど心は晴れやかだった。
人間って不思議。
不安だった事だって、相手の言葉で安心したり出来てしまうのだから。
ずっと心の中にあったモヤモヤした気持ちも、孝明が話してくれた事で霧が晴れたような状態になっている。
それと同時に不思議だな、なんて思ってしまったりもする。
知り合った時は孝明の事、正直苦手だった。
整った顔、話し上手で、口も心も軽いんだろうなんて思っていたから。
こんな男はご免だ、なんて考えていたのに。
今では元彼の事も簡単に思い出せない程に惹かれてしまっている。
過去の恋愛の経験の全てを塗り替えてくれそうな程、強く惹かれ、心の中を占領し始めている。
たった一言の「好き」が、人生の全てを変えてくれるように思える。
「幸せになりたい」とか「結婚をして幸せになる」とずっと思って生きて来たけれど、今は少し違う気持ちが芽生えている。
「幸せと思える恋がしたい」もうすぐ29才を迎えるのに。時間的な余裕なんて全くないけれど、自分の気持ちは大切にしたい。
そう思えるようになったのは孝明と出会えたから。
2人でゆっくりと日曜を過し、家に帰ったのは日付が変わる頃。
既に寝ていた母や父と顔を合わさずに済んで、少し安心しながら部屋に入る。
夏樹からの一通のメールが届く。
【清水友也くんから連絡が来たよ。10日に清水くんと会う事になったんだ。坂田くんの事も聞けるかも。優も来るよね?】
清水友也
孝明や健斗くんと同じ会社に勤めている人。麻奈美の結婚式で知り合ったけど、とても無口であまり印象には残っていない。
夏樹と友也くんは連絡を取り合っているようで、女の子を紹介する約束をしているらしかった。
その条件として孝明や健斗くんの情報を教えてもらうよう、夏樹が頼んだ。
10日か。健斗くんが中国に行く予定の日。孝明が中国に行って2日後。
孝明の口からもう過去の恋愛について聞いたから、これ以上聞いても仕方がないかも知れない。
それでも、夏樹の入籍が済んでから『おめでとう』を言うには丁度良い。そんな軽い気持ちだった。
【夏樹にも会えるから行こうかな。時間と場所が決まったら教えてね】
軽いノリで返信して携帯を閉じ、目を閉じて夢の世界へと落ちるように眠りについた。
週が明けて月曜、林さんが会社に顔を出す事はなかった。
綺麗に整頓された会社で、来春オープンの大型雑貨店との契約が済んだ。
さすがに大口の契約だけあって、オープンまで半年近い時間があるけれど、3ヶ月後くらいから本格的な納品が始まる。
それまでの時間は納品する商品の選定で忙しくなる。会社がバタバタし始めているのは良く分かった。
火曜日も林さんから連絡がくる事はなかった。
水曜、昼食は初めて会社の外で食べた。
孝明が近くに用事があったとかでランチに誘ってくれた。お互い平日の昼間に顔を会わせるのは初めて。
スーツ姿の孝明はいつもよりもずっと、しっかりした印象を与えてくれる。見惚れてしまいそうなくらい輝いて見える。
格好良く見えるよう、服装も髪型も整えている姿は新鮮。
でも、やっぱり普段通りの孝明が一番かな。
洗いざらしの髪の毛、そこから漂う優しい香り。
服装も、背の高い彼にはスーツも似合うけど、ラフなTシャツにジーンズが一番良く似合う。
たった1時間の休憩時間を2人で過し、たくさん会話しただけで気分は晴れやかだった。
足取りも軽く会社に戻ろうとしていると、会社の前に居る林さんの姿を見付けた。
「林さん、来てくれたんですね?」
嬉しさのあまりに駆け寄ると、私の姿を見付けた林さんは驚いた表情でこちらを見る。
「ちょっと…この近くを通っただけよ」
それだけ言うと足早に去ろうとする。
「待って下さい」
「本当に近くを通っただけなの」
素直になれない駄々っ子のように去ろうとする。タイミング良く出て来た志島さんもすぐに気付いて近寄って来た。
「林さん、待ってたんですよ」
「……」
志島さんの優しい声に林さんの足が止まる。
「俺、やっぱり林さんが居ないと寂しいかな。牧山さんが何度も『林さん戻って来ますよ』って言ってて、そうなれば良いって思ってました。
これから仕事今まで以上に忙しくなる。林さんの力がないと困るんです」
「仕事は加賀田さんと帰山さんで十分やっていけるわ」
ふて腐れたような言葉がぽつり宙に舞うように、林さんは小さな声で言う。
「仕事は何とかなっても…口うるさい母親みたいな存在、俺には必要です。昔みたいに戻りたいんです。
『志島くんはガキなんだ』って叱って下さいよ」
「志島くん叱ったら『ったく林さんはうるさいババァだな』って言われるじゃない」
そんな言葉の裏側にも愛情があるのだと思わせてくれるくらい、林さんの笑顔は優しかった。
きっと2人の間には私が思ってる以上の信頼関係があるのだろう。
クソババァとかガキなんて言葉を交わしながらも、簡単には壊れないような信頼関係。
信頼しているからこそ見せられる強さや弱さ、言える言葉があるのだろう。
まだこの会社に入って間もない私には知り尽くせないくらいの長い時間を共有した2人。
私が入る余地なんてきっとない。
そのまま2人を残し、そっと会社の中に戻った。
「優ちゃん、社長見なかった?」
百田さんに声を掛けられ、林さんと外に居ることを告げる。
百田さんはすぐに外に飛んで行った。どうにもならないパートだ、なんて言っていたのに。
出て行く時の顔はとても嬉しそうだった。やっぱり林さんはこの会社に必要な人間なんだ。
外の様子が気になりながらも、午後からの伝票の整理を終え、梱包作業の手伝いをしっようと倉庫に向う。
加賀田さんと帰山さんは忙しそうに仕事をしている。
「手伝いますよ」
「わー助かります。じゃあ、牧山さんはパッキン入れしてくれます?」
加賀田さんに渡された梱包資材を受け取り、作業をしていると志島さんと林さんが入って来た。
「皆、ちょっと話聞いて欲しい。林さんに戻って来てもらおうと思うんだけど」
志島さんの言葉に驚く人間は誰も居なかった。
「良かった…林さん居ないと分からない事もあって。毎日梱包を終えられるかギリギリだったから」
「林さん居ないと寂しくて」
加賀田さんと帰山さんはホッとした様子だった。
志島さんはそんな2人を見て安心したような表情をしている。
「牧山さん、ありがとう。素直になるってこの歳になると難しい。牧山さんが居てくれなかったら会社に戻るなんて出来なかった」
林さんの口から出た優しい言葉。思わず笑みがこぼれてしまう。
「林さん、これからは優しくお願いしますね」
私の言葉に皆が笑って、温かな空気が流れているように思える時間だった。
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