― 動き出す時間・未来への第一歩 ― 

 

 

恋人が休日出勤で不在の私と夏樹は、時間が許す限り色々と話した。
志島さんが抱えている過去が、あまりに重くて非情で非現実的なものかを知り、困惑しているのが正直なところだった。
そして、林さんが志島さんにとってのキーパソンだって事も初めて知る。
「林さんって志島さんの彼女の知り合いなのよ。同じアパートに住んでいたらしくて、近所の世話焼きオバちゃんと、 純情な田舎出身のお譲ちゃんって感じで。林さんがたまたまパートで志島さんの会社で働いているのがきっかけで、 志島さんに彼女を紹介したのよ」
夏樹の言葉に妙に納得させられた。
確かに林さんにはそんな姿が似合っている感じかな。
私の場合は牙を向けられた事の方が多かったけれど。
それでも林さんが会社を去って行く日、私に残した言葉の意味が少なからず理解出来る。

「志島さん、いっぱい辛い過去を抱えていたんだね。優しいから辛いものを抱えているように見えなかった」
「今は優しいけど彼女が事故を起すまでは今よりずっと尖っていたんだよ。『いつも林さんに丸くなれって言われる』なんて ボヤいてた。林さんは志島さんにとっても、彼女にとっても良きお母さんって感じだったの」
「でも…会社では散々イジメられたけどね」
「それは…優だからだと思うよ。前は思わなかったけど、優って何となく彼女に雰囲気が似てる。 身近な腐れ縁だから、優は優って固定観念でしか見てなかったけど。優の面接をした日に連絡もらって、 『彼女に似てる…』って言ってて、あー似てるかもって気付かされたんだけど」
淡々と話す夏樹を見ながら、林さんにも『牧山さんは、昔社長が好きだった人にどことなく似ているから』と言われたのを思い出す。
娘のように可愛がっていた人と、息子のように可愛がっていた人。
その2人が抱える辛い過去と現実。それをずっと見守っていた林さん。
何となく、志島さんの辛さよりも林さんの気持ちが気になって仕方がなかった。 可愛い子が会社に入るとイジメを繰り返していたって百田さんは教えてくれた。
ババアなんて呼びながらも、いつも林さんを頼っていた志島さん。 きっと、林さんにそうさせたのは過去の出来事なのだろう。そんな確証もない事ばかりが頭の中を駆け巡った。

 

20時少し前、散々話込んでいた私と夏樹を現実に引き戻す一本の電話。
健斗くんから夏樹にかかてきた帰るコール
「仕事終わったみたいで今から帰るって。坂田くんも終わったんじゃない?」
「じゃあ、そろそろ帰るね。そうだ、林さんの住所とか知ってる?」
どうするの?と言いながらも、夏樹は住所を書いたメモを手渡してくれた。
「志島さんの彼女が住んでいたアパートよ。林さんはこの部屋の隣。っていっても隣は2部屋あるからどっちかよ。 でも2年も前の事だから引っ越してないとは言い切れないけど」
手渡されたメモを握り締め、夏樹の部屋を後にした。

歩きながら孝明の携帯を鳴らしてみても、マナーモードのアナウンスが悲しく繰り返されるだけ。
「まだ仕事か」
独り言を呟きながら。そのまま私はメモに書かれた住所に向って歩き出していた。

歩いて20分。
目の前に現れたのは古くてイマドキ≠チて言葉とは縁遠いような一軒のアパート。
メモに書かれた部屋番号は空き部屋になったまま。
右隣の部屋のドアの前には大量のゴミ袋が積み上げられている。どう考えても林さんの性格からは想像出来ない状態。 左隣の部屋は、古いのに綺麗に磨かれたドアに掃除が行き届いた様子が見てとれる。
きっとここが林さんの部屋だと確信でした。根拠らしい根拠もないけれど。

部屋のチャイムを鳴らすと、キンコンと古い映画の中で出てきそうな昭和を連想される音が鳴り響く。 その音に心臓が跳ね上がりそうになる。
返事もないままドアが開くと、中学生か高校生とおぼしき男の子が立っている。
「どなたですか?勧誘とかなら、家貧乏なのでお引取り下さい」
年齢からは想像も付かない、可愛らしくない態度と言葉。
「あの…お母さんいますか?パート先の牧山と言います」
引き攣りながらも笑顔を無理矢理作ると、男の子は返事もしないまま部屋の中へと消えて行く。
「何しに来たの?休日の夜に…デートでもしてなさいよ」
嫌味たっぷりに参上した林さん。けれど表情には迷惑そうな色が出ていなくて安心させられる。

「いつ戻って来てくれるんですか?大きな契約が決まりそうで、仕事忙しくなりそうなんですよ。林さん居ないと困ります」
「私、辞めたんだけど」
腕を組みながら眉をしかめている。
「退職願い出てません。今は有給の消化に当ててます。いつから戻ります?」
呆気に取られたような顔をした後、深い溜息をついた。
「戻れる訳ないじゃない」
「でも、志島さんは林さんに傍に居て欲しいと思いますよ。今の志島さんを支えてあげられるのは林さんしか居ないでしょ? 志島さんの過去を全部抱えられるのは…林さんだけでしょ?」
私の言葉に驚いた表情を浮かべながら『聞いたのね』と小さく呟いた。

林さんの部屋に招き入れられた。
古い概観とは似つかわしくない、綺麗に整頓された部屋。
「会社を紹介してくれたお友達に聞いたの?」
お茶を淹れながら優しい言葉で聞いてくる。
「はい。志島さんの彼女の話、聞きました。何故、林さんが長くても3年って言ったのか分かりました。 同時に、林さんがどれだけその彼女の事を大切にしていたのかも分かった気がします」
「良い娘なのよ。志島くんとお似合いで。だけど志島くんは…今はあんなに優しい人に見えるけど、彼女が事故を起すまでは 冷たい部分も大きかったわ。仕事の事となると彼女の事を大切に出来なくてね。何度も叱ったのよ、仕事のために家族や友情があるんじゃないって。 家族や友達・恋人のために仕事があるんだから、人に優しく出来なければ成長出来ないって。伝わるのが遅かったみたい」
湯飲みに手を当てたまま涙ぐむ林さんの肩は、体格や威厳ある態度と反比例して小さく見えた。
「林さん…やっぱり志島さんの近くに居てあげて欲しいです」
「私ね、若い人が事務とかパートで入るのが恐かったわ。彼女が出所した時に帰ってくる場所は志島くんの所しかないのに。 彼女のご両親ね今年の頭に亡くなったのよ。だから彼女の支えになれるのは志島くんしか居ないから。それを守ってあげたかったの」
林さんの目からとうとう涙が溢れた。
「優しいんですね。だからイビってまで追い出そうとしたんですよね?志島さんと恋愛に発展しないようにって思って」
「ごめんね」
大粒の涙が次から次へと溢れては落ちる。

優しいんだ。夏樹が言うように、林さんは本当は凄く優しい人なんだ。
嫌味を言いながら、イジメをしながら、心の奥底で傷付きながら、大切な者を守るためのたった一つの道にしがみ付いていたんだ。
自分が悪役になる事も恐れずに、誰かの幸せを守ろうという優しさ。自分は持ち合わせてなんていない。
きっと林さんは私なんかよりもずっと人の痛みが分かるから、私よりもずっとずと優しいからこそ出来たんだ。

「林さん、仕事に戻ろう?きっと帰山さんも加賀田さんも、林さんを慕っていると思います。長くいた時間だけ分かってると思います。 林さんが本当は優しい人間だっ事。だから、居場所がないなんて事ないと思います。皆、林さんを待ってるはずです」
「バカね」
涙を拭きながら、やっと笑った林さんに次はどんな言葉をかけようか――――と思った時、私の携帯が鳴る。
出ようかどうかを迷っていると、林さんは優しく微笑んで「彼氏でしょ?牧山さんに会いたいんじゃない?」と言いながら、 電話に出るように勧められた。

『もしもし、もう時間遅いけど会えないかな』
「今、夏樹の家の近くに居るの」
『車で迎えに行くから、少しで良いけど会いたい。話があるんだ』
「分かった。近くまで来たら連絡ちょうだい」
少し焦った様子の孝明の声。きっと中国への長期出張の件を話したいのだろう。 そんな私と孝明の電話でのやり取りを見ていた林さんが、笑顔で言った。
「彼氏迎えにくるんでしょ?好きな人。好きになってくれる人、手を放しちゃダメよ」

話が途中で終わったけれど、私の事は大丈夫だからと微笑みながら追い出されるように、背中を押すように、笑顔で送り出された。

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