― 抱える過去 ― 

 

 

土曜の朝になって孝明から連絡が入った。
会う約束をしていたけれど、大きな仕事が動き出す事になり、休日返上で対応に追われる事になったと。
最悪な気分だった。けれど、同時に少しだけホッとしている自分がいる。
会いたい気持ちと紙一重の位置に、会うと辛くなりそうな気持ちがある。

「つまんないの」
寝転んで天井を見上げながら呟くと、無性に寂しくなった。
孝明が忙しいって事は、必然的に健斗くんも忙しいだろうし。夏樹も暇だよね?
携帯を手に夏樹に暇を訴えた。 当然、夏樹も暇していたようで会う事になった。妊婦の夏樹を連れ回す訳にはいかないから、夏樹と健斗くんの部屋へ向う。

「せっかくの週末なのに仕事なんて嫌になるよね。仕方ないけど…」
着いて早々に夏樹の愚痴が炸裂し始める。
「あまり詳しく聞いてないけど、仕事すごく忙しいみたいだね」
「そうみたい。何でも中国の取引先の大規模工場が大きなソーラー発電の導入をするみたいなの。
健斗も坂田くんも来月から中国に出張になるのよ。信じられない」
来月から?すでに月末だって言うのに。もちろん何も聞かされてなんていない。しかも夏樹は来月入籍でしょ?
言葉にならない疑問が頭を駆け巡った。何

「まあ、健斗は会社に入籍を報告していたのもあって10日から2ヶ月間の出張になったけど、坂田くんは長期になるね。 最低でも半年は中国に行かないといけないと思うって言ってた」
「うそ…でしょ?」
それ以上の言葉が出てこない。半年も中国に行くって…。付き合って間もないって言うのに。
「入籍してすぐに離れ離れなんて大変でしょ?」
動揺を隠すように夏樹を気遣う言葉を並べていた。
「大変だけど、出産の時期とかぶらなくて良かったかな。優だって大変じゃない?まだ例の寝言の件も済んでない訳で。 今は猜疑心でいっぱいなのに、離れてしまえば余計に辛くなるんじゃない?」
心配そうに顔を覗き込んでくる夏樹。その目は本当に心配してくれている。
想像の出来るような状況ではない。半年も離れるなんて、知り合ってからまだ3ヶ月程度。その期間の倍の時間を離れて過す。
その事実の重さなんて頭で考えてどうにかなるような物なんかじゃないから。
「うん。でも悪い方に考えてしまえば悪い結果にしかならないから。今は深く考えないでおく」
作り笑いを浮かべた。その強がりを夏樹は十分に理解してくれているようだった。それだけが救い。


「そう言えば、会社の方は?あの汚い会社が綺麗になっているんだから驚いた」
「でしょ?最初は私も汚いって思っていたから、一掃出来る良いチャンスだったけど、さすがに毎日重いもの運んで筋肉痛だよ」
あえて話題を逸らしてくれているのは分かっている。だからこそ、その話題に笑顔で応じる。
散々仕事の話を繰り返した。パートさんと上手く行かずに悩んでいた事など。たった2週間だけれど辛かったと話すと、 夏樹は笑顔で「林さん、本当は悪い人じゃないのよ」と言った。
夏樹が志島さんとどんな知り合いなのか、今まであまり気にしていなかった。けれど想像していた以上に仲が良いのかも知れない。
実際、林さんの事を知っていると言う事は、それなりに会社に顔を出していなければ分からない事。



「聞いても良いかな?夏樹と志島さんって一体どんな関係なの?」
ん?と顔を覗き込んできた夏樹の目には困惑した色が見える。そして言葉に詰まった夏樹にもう一度「教えて」と声を掛けた。
「同期の娘の彼氏だったのよ。まあ、志島さんの婚約者って感じかな」
当たり障りなく、無難に答えたつもりなのかも知れない。夏樹は嘘が付けない性格だから、隠し事をしたい時の話の内容は、すぐに疑問点が出てしまう。
「彼氏だった≠フに、婚約者≠ネの?それって矛盾してない?」
「優…」
一瞬、夏樹の顔に焦りの色が見える。口を滑らせた事を実感している様子。

「分かった…話す。話すけど約束してくれないかな。志島さんに恋はしないって」
ハッとした。林さんと同じ言葉が夏樹の口から出た。ううん、百田さんの口からも同じ言葉が出た。
頷いた私を見て、夏樹は深い溜息をついた。
「志島さんの彼女、今は刑務所に入っているの。あと3年くらいで出てくるかな。出所したら多分、志島さんと結婚する」
「刑務所?どうして?」
夏樹はゆっくりと話してくれた。


今は円高で順調だけれど、2年前の春、志島さんの会社の経営が大きく傾いた時期のこと。
原油の高騰に伴って、輸入関係の仕事は大きな影響を受けた時期。
資金繰りに追われ、志島さんと彼女は会う時間さえない状況だった。
そんな中、会えば喧嘩を繰り返してしまうようになった2人。
当然と言えば当然に違いない。彼女との結婚の約束さえも、 会社の経営悪化に伴って延期になってしまったらしいから。

初夏のある日の早朝の事、志島さんと大喧嘩をした彼女は志島さんの部屋を飛び出した。
頭に血が上っていたのかも知れない。
冷静な判断が出来ない状況だったのかも知れない。
飛び出して数分後、彼女は事故を起してしまう。
一人の女性を車ではねてしまい、その調書を取っている際にアルコールが検知され逮捕された。
前日の夜に飲んだお酒が抜けていなかっただけだと言う。酔うほども飲まなかったワイン。
けれど、どんな言い訳をしてもアルコールが検知されてしまえば意味がない。酒気帯び運転と言う、絶対にしてはいけない事をしてしまったのだから。
その女性は数日後に死亡。女性が妊婦だったと知らされたのは死亡して間もなくの事。
女性には身寄りがなかった。配偶者さえも。事故に遭う一月前にご主人を亡くしていたらしい。
周囲の人に『主人の忘れ形見を大切に育てたい』と笑顔で話していたと裁判の席で検察官が伝えると、彼女は大泣きした。
その時、彼女自身も妊娠に気付いた時期だったから。

結局、刑事裁判の一審では実刑5年が言い渡された。速度30km/hほど超過していた点、酒気帯びだった点、ブレーキ跡がなかった点を つかれ重い刑となった。弁護士側は即日控訴したが、本人の強い希望で控訴を取り下げる形となった。
実刑5年が確定した。その裁判の後、彼女自身は過度のストレスが原因で流産をしてしまう。

夏樹の話の内容は重かった。
その裁判が済んだ後も、志島さんはずっと悔やんでいたらしい。
彼女にもっと優しく接していれば人が亡くなる事もなかったし、彼女が傷付く事もなかったと。
夏樹は2ヶ月に1〜2度、志島さんと2人で彼女の面会に行っていると教えてくれた。最初の頃は拒否される事もあったけれど、今では少しずつ話す量が増えてきているようだった。
「彼女ね、何度も言うんだ。『人を殺めてしまった私に幸せになる権利はない』って。それでも志島さんは何度も伝えたの。 待っていって。彼女にそんな道を歩ませてしまったのは俺が原因だからって悔やんでた」

夏樹は、無神経なくらいに明るくてはしゃぎ出すと止まらない、ちょっと落ち着きのない部分もあるけれど、 こうやって深い経験を人より多く経験している。それを感じさせない程ポジティブだから、人には軽い人生を送っていると思われがち。
本当は情に厚いのに。
恋愛に走ると若干薄情な部分が顔を出すけれど…。
今でも、志島さんの彼女に会いに面会に行っている事は 私にとっては衝撃的だった。もし、自分が夏樹の立場であれば面会に足を運んだりはしない。
例え行ったとしても2年も続けて行けるほど、人に対して優しくなんてなれないのは目に見えているから。
こんな部分なのかな。夏樹がどんなに無鉄砲で、破天荒でも人に嫌われる事もなく幸せに向えるのは。

そんな夏樹を見ながら、自分が幸せと程遠い位置に居るのは、心の奥にある優しさの度合いの違いなのかな、なんて思ってしまう。

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