― 激動 ― 

 

 

走って林さんを追いかけた。
「林さん……待って下さい」
声に気付いて、林さんは立ち止まりゆっくりと振り返る。普段、走る事なんて滅多にないせいで息があがる。切れぎれに話すのがやっと。
「何しに来たの?仕事中でしょ?戻りなさい」
「何って…それに林さんも仕事中ですよ。一緒に戻りましょう」
私の言葉に吹き出すように笑っている。
「戻ったって…もう、私の居場所なんてないわ」
空を見上げながら呟くように、吐き捨てるように言う。その表情は、さっきまでの勝気で嫌味な表情ではなく、どこか頼りなささえ感じさせる。

「私なんて、入社した時から会社に居場所なんてないですよ。それでも毎日出社しています」
私の言葉に、一瞬驚いたような顔をして、もう一度笑った。
「私が居なくなれば、あんたの居場所はちゃんと出来るでしょ?だから、こんな事しなくても良いのに」
「そうですよね。林さんが居なくなれば針の筵に居るような状況ではなくなりますね」
最もだ、なんて思いながら言葉を口にした私を、さらに呆気に取られましたと言う目で見ている。
「嫌味でも言いに来たわけ?見かけによらず神経図太いわね」
「そんなつもりじゃないですよ。確かに林さんに辛く当られるのは嫌です。別に悪い事もしていないのに理不尽だって思ってたし。 でも、林さん居ないと毎日の帰宅が深夜になっちゃうでしょ?それも困るなって思うんですよね。張り合いもないし。つまらない毎日になると思いません?」
二人、顔を見合わせると笑いが込み上げてきた。

「牧山さんってもっと弱い人だと思ってた。頭が悪くて、腰掛で。嫌味な態度取ってたらすぐに居なくなるかなって思ってた。 案外根性座ってるじゃない」
「それって褒めてるか貶しているか分からないけど、頭が悪くて、腰掛って部分は間違いじゃないです」
にこりと笑顔で答えると、林さんは深呼吸をして言葉を口にした。
「腰掛で良いわ。この会社には長く居ない方が良い。これは私のためでもなく、牧山さん自身のためにね。 友達の紹介で会社に入ったんでしょ?だったら友達にも言われたでしょ?長く居るなって」
林さんの言葉で、夏樹から言われた事を思い出してみても、そんな事を言われた覚えはない。
恋するな、くらいしか言われていない。
「言われてませんよ。ただ、志島さんに恋はするなって言われたくらいしか記憶にないです」
正直に言うと、林さんはもう一度空を見上げた。

「社長に恋しちゃダメよ。これは他の誰でもなく牧山さん自身のためにね。加賀田さんみたいに全く可能性がない人間が 恋焦がれるのと訳が違う。牧山さんは、昔社長が好きだった人にどことなく似ているから」
「昔好きだった人?」
言葉の真意が掴めないでいる私に、ゆっくりと顔を向けて話を続ける。
「あと3年。それがタイムリミット。これだけは覚えておいて。あと、社長に伝えておいてもうお役ごめんするわ。ごめん≠チて」
「え、3年?お役ごめんって…」
話を遮るように、林さんは歩き出した。にこりと今までに見た事もないような優しい笑顔を向けて。
そんな後ろ姿を見ると、辞める決意が固いのは伝わってくる。けれど、今回のいざこざだけが原因ではないような気がする。 もっと何か理由があるのかも知れない。志島さんに関係する何か――――。
皆が口を揃えて言う恋しちゃいけない≠フ真意が気になる。


会社に戻ると、志島さんが近寄って来た。
「どうだった?林さんは?」
心配そうにしている志島さんに首を横に振ると、寂しげな顔で「そっか…」と答えた。
「社長にもうお役ごめんするわ。ごめん≠チて伝えてくれって言ってました。林さん本当は辞めたくないように思います。 社長から連絡してみて下さい」
「いや、良いんだ。林さんをこれ以上、俺の傍に置いて迷惑掛ける訳にいかないから」
呟くように言葉を残し、志島さんは事務所の中に入って行った。


「優ちゃん、社長は?」
営業回りから戻った百田さんが、慌てた様子で、声を裏返らせながら近寄って来た。
「今、事務所に入って行きました」
「そっか。社長!大変だ!」
大きな声を響かせながら、百田さんは走って事務所へと入って行った。
気まずいながらも、数分の間を置いて事務所に入ると、鼻息荒くしながら百田さんが大騒ぎをしている。

「時間ないですね。どうしましょう…」
「やれるだけの事はやりましょうよ。今後の会社のためを思えば断れる話じゃないですよ」
慌てた様子の志島さんを一生懸命励ましている百田さん。奇妙な光景を前に立ち尽くしていた。 そんな私に気付いた2人。
「優ちゃん聞いてくれ!来年の春に隣町に大きな雑貨店が出来るの知っているだろ?」
「はい。家具や雑貨の専門店ですよね?」
「そう、その会社にずっと商品を置いてくれないかって頼んでたんだ。そしたら、うちで扱ってる雑貨を置いてくれるって言うんだ。 食器類もタオル類も、うちの会社の商品をメインに扱ってくれるって言うんだ!凄いだろ」
「凄い!百田さん、あんな大きな雑貨店の仕事取るなんて凄いですよ!」
2人ではしゃいでいると、志島さんが冷静な声で話し出した。
「凄いけど…来週の月曜にここに契約を交わしながら、会社の視察に来るって言うんだよ。こんな汚い会社見たら…契約してもらえないかも知れない」
不安そうにしている。らしくない志島さんの姿。

「まだ1週間あるじゃないですか!片付けましょうよ。丁度、明後日からの納品は少ないし、これを機会に一気にやりましょう」
励ますように言うと、少し考え込んでいた志島さんが顔を上げた。
「そうだよね。考えるよりもまず行動だよね」
「おし、やろうぜ!俺ら営業は力仕事もするから。皆で会社を一から綺麗にしよう」
「じゃあ、私が玄関とか倉庫のレイアウト考えます。帰山さんや加賀田さんなら仕事の流れ分かるから、 どこに何を置けば仕事の流れが良くなるかアドバイスしてもらえるから、2人と相談して進めてみます」
「そうだね、お願いするよ」
志島さんの言葉と同時に、メモを手に倉庫に飛んで行く。

さっきの事で、少しビクビクしている2人に事情を説明して、どうすれば仕事の効率が良くなるか考えて欲しいと告げた。
「牧山さん…私達の事怒ってないの?」
帰山さんが様子を窺うように聞いてきた。
「怒るも何もないですよ。あ、もし林さんと連絡取れるなら伝えて頂けません?年末には会社が忙しくて大変な事になりそうですって。 休んでくれるのは良いけど、あまり長く休まれても困りますよ!って生意気な事務員が言ってましたってね」
きょとんとした顔で呆気に取られている帰山さんに、軽く笑顔を向けて「連絡も、レイアウトプランもお願いしますね。とても頼りにしていますよ」と言い残し、事務所に戻った。
それから百田さんと2人で玄関や応接室をどうするか、真剣に話し込んだりして、驚く程に時間はあっと言う間に過ぎて行く。

そうやって仕事に没頭している最中は幸せだった。
林さんが抜けた事に対する不安は大きいけれど、皆が頑張れば何とかフォローしていける。
何より、仕事以外の事を考えずに居られるのは、孝明の事で悩まなくて済むから。

心の中にある孝明に対しての、強い恋心と、根ざした猜疑心に振り回されない時間は今の私には必要だった。

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