― ごちゃ混ぜの感情 ― 

 

 

孝明に対して猜疑心が芽生えた翌日、沈んだ気持ちで仕事をしていた。
社会人として、私的感情を仕事に持ち込むのは良くない事だと十分に分かっているのに。沈んだ気持ちを増徴させてくれる職場環境。
今朝も、出社してきたパートの3人組みに挨拶をしても返事がなかった。
それどころか、私の存在なんてまるで最初からなかったかのように、空気的な扱い。
めげないつもりで頑張ろうと意気込んでも、さすがにへこむ。

「牧山さん、これから納品に向うんだけど、物量が多いから一緒に来てくれないかな?」
志島さんに声を掛けられ、得意先に向うのに同行する事になった。
大量にある納品物を軽トラックの荷台に積み込む。最初は重くて持てなかったダンボール箱も、たった1週間で持てるようになってきた。
「女の人に重い物を持たせるのは気が引けるんだけど…」
申し訳なさそうに切り出す志島さんに、笑顔を向けて首を横に振った。
「良いんです。これも仕事ですから」
本当は、狭くて汚い会社の中で、明らかに邪険にされているのを感じながら居るのが苦痛で、逃げ出したかったからが本音。
会社を出て体を動かしている方が、随分と気が楽だった。

走り出した車の中で、何気ない、当たり障りのないような話題をしながら、流れる街並みに視線を向けていた。
平日の昼間、働く人達を尻目に、手を繋いで歩く恋人達に目が行く。
幸せそうな笑顔。楽しそうに歩く姿。
そのどれもが今の自分の感情とは正反対の位置にあって、空しさが増していくばかり。

「今日は元気ないね」
ぽつり、呟くように志島さんに言われ、慌てて笑顔を作った。
「そうですか?そんなつもりはないですけど」
精一杯、平静を装いながら答える。
けれど志島さんには全てお見通しのようだった。
「恋人と喧嘩でもしちゃった?先週、ずっと帰るの遅かったから、それが原因だったりするかな?」
「あ、いえ。喧嘩もしてないです」
ほんの僅かな沈黙が車内を包み込む。
「上手くいってないとか?……って失礼な質問だね。ハラスメントになっちゃうね」
「……」
答えられなかった。図星過ぎて。
表面上は上手くいっている恋人関係。合鍵までもらえて、普通だったら笑顔の絶えない状況になっているはずなのに。
心の中を支配していく猜疑心に負けている。


「よし、これで最後」
荷台に最後のダンボールを載せ、綺麗な笑顔を向ける志島さん。
車で待ってて、とだけ言い残して雑貨店の搬入口に入って行った。

しばらくすると紙袋を手に志島さんが戻って来た。
「お待たせ。さて、会社に戻ろうか?あと、これ牧山さんに」
「え?私に?」
「うん、開けて見て」
吸い込まれそうなくらいに綺麗な笑顔を向けられる。
手渡された紙袋をそっと開けると、そこには綺麗にラッピングされたアロマキャンドルが入っている。
「綺麗。本当に頂いて良いんですか?」
「悩んでいる時はアロマの香りが落ち着かせてくれるらしいし。女の人は綺麗な物に囲まれて、綺麗な心で居るのが一番健康に良いらしいよ」
志島さんは優しい。
もちろん孝明も優しいけれど、優しさの部類が違うと言う感じ。
さり気ない優しさと言うか。その優しさが心地良ささえ与えてくれる。
心のどこかで『こんな人と恋が出来たら幸せなのかも』なんて考えが通り過ぎていく。

―――――――――――――――――――――――――――――

会社に着くと、パート3人の矢のような視線が突き刺さる。
「社長、今日も仕事があぶれそうなのよ」
パートの林さんが、さも当然と言うように話し掛けてきた。
「困るな。時間延長は…無理なんだっけ?」
いつもなら優しく了承する志島さんが、ほんの僅かに苛立ちを含んだ声で言葉を発した。
「家事もあるし、延長は無理ね」
どっちが上司か分からない口調で、林さんが言葉を返した。
「もし、これからも目標数をこなせないなら、パートの入替を検討させて欲しいですね。仕事だから。 林さん達の頑張りには感謝してますよ。でも、時間内に与えられた仕事をこなそうと言う姿勢が見えない。 会社の利益はお客様が生み出してくれる。それに本気で応えられないなら、人員を入れ替えてでもお客様への要望に応えなければ 会社は成り立たないんです」
嫌な空気が場を包んだ。

「だったら…牧山さんは社員でしょ?社員だって梱包を手伝えば良いじゃない?」
苛立った声で林さんが口答えをした。
他のパートの帰山さん、加賀田さんはおろおろした様子で、ただ無言でこちらを見ている。
「林さん、勘違いしないでくれませんか?牧山さんは事務員です。今までだって3人で梱包は出来ていた。それなのに牧山さんが 入社してから梱包をこなす数が半減している。おかしくないですか?」
「事務員は梱包をしないなんて、線引きしてパートに押し付けてるだけじゃないです?」
引かない林さんの態度に、志島さんが声を荒げた。
「だったら…明日から来て頂かなくて良いです。解雇予告手当ても払います。社会人にもなって誰かを苦しめたり、傷付けたり、会社には必要のない事です。牧山さんは…不慣れながらも毎晩遅くまで梱包作業をやってくれてます。ちゃんと自分の仕事も 頑張っているし、会社のために頑張ろうとしてくれています」
しんと静まり返る。

しばらく続いた沈黙を破ったのは林さん。
「それが社長の意向?私達ただのパートだけど、居なくなったら困るのは目に見えているはずよ?ここまで言われて、私はこれ以上やっていけない。 悪いけど失礼します。さ、帰山さん、加賀田さん。あなた達も帰るでしょ?」
同意を求めるように2人に声を掛けた。
「私…」
帰山さんが細い体に見合ったような、か細い声を詰まらせる。何かを言いたそうに俯いている。加賀田さんもおろおろしている。
「何しているの?行くわよ」
語気荒く林さんが2人に再度声を掛けた。
「私…行かない。最後まで梱包します」
震える声の帰山さんに、全員の視線が集まった。

「うち、旦那が給料カットになって収入激減したし…これから新しいパート先を探すにしても、ここと同じくらい条件の良い所なんて… 見付けられる自信ない。社長が言うように…自分達の仕事に責任を持たずに、私情を挟んでいたのは確かだから」
ゆっくりと、言葉に何度も詰まりながら、涙を目にためながらの言葉。
「帰山さん、これからも働いてもらえます?収入の面で不安があるなら、労働時間の見直しをしても良いし、扶養の枠からはみ出してしまうようなら、 社会保険の加入もしっかりして家庭のためになるよう手伝いますよ」
志島さんの優しい言葉に、帰山さんの顔にほんの少し明るさが戻る。
「ありがとうございます。心入れ替えて頑張ります」
温かな風景だった。

「加賀田さんは?」
志島さんの言葉に、体をびくっとさせながら顔を上げた。
林さんの睨むような視線と、優しい志島さんの視線に挟まれて困惑している様子だった。
「私…辞めたくなんてないです…」
志島さんに想いを寄せている加賀田さんは、この会社に残りたいに決まっている。
気まずい空気の中、林さんは荷物を手にして、飛び出すように会社を後にした。


バカだって分かってる。
私が出ていく場面なんかじゃないって分かってる。
それなのに…気付けば私も会社を飛び出して、林さんを追い掛けていた。

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