― 昔の男 ― 

 

 

 

映画の上映が終わり、館内の照明が灯される。
席を立つ人達が出口へと向う光景をただぼんやりと眺めていた。

孝明は、呆然としている私の手をそっと取った。
きっと映画に感動して黙り込んでいると思ったに違いない。
「良い映画だったね」
「あ、うん。すごく良かったね」
心ここにあらず、と言う状態で見ていたくせに、孝明に掛けられた言葉に対して曖昧に微笑んでいた。他に言葉なんて見付けられなかったから。 だって、言えるわけがない。元彼が前方にいるせいで映画の内容なんてほとんど頭に入っていないなんて。

「そろそろ行こうか」
人影もまばらになり始めた頃、孝明に手を取られて立ち上がった時、 顔を上げると、丁度出口に向おうとしていた幸治と目が合う。
一瞬驚いた顔をした幸治は、私と孝明の繋がれた手に視線を落とすと、無表情で視線を外し、自分の彼女の手を取って歩き出した。
その姿を見たくなくて私は足早に歩きた。

「ちょっとトイレに寄りたいの」
「じゃあ、ロビーの方で待ってる」
人込みの中、少し混み合うトイレに向かい、鏡の中の自分の顔を見た。泣きましたって分かるくらいに赤くなった目。 けれどここに居る人達は、映画に感動して泣いたとしか思わないんだろう、なんて考えると少し笑えた。
元彼が新しい彼女と居るのを目撃して、随分前から自分が裏切られていたのだと知り…情けなくて泣いたなんて、きっと誰も分からないよね。

トイレを出ると、幸治にバッタリ会う。
心臓が、呼吸が、止まってしまうかと思う程驚いた。もちろん幸治も同じで、驚いた顔をした。時間が止まったように一瞬足が止まる。
「優、新しい彼氏が出来たんだね」
先に言葉を発したのは幸治。
「まあね」
「良かったね。これで…俺も吹っ切れるよ。優を傷付けたかな?って少し悩んだりしてたから」
少し…ね。そりゃそうだよね。だって新しい彼女が出来て、嬉しかったり楽しかったりを繰り返す時間の中で、 ダメで仕方がない元カノなんて、思い出す余裕なんてないよね。
別に…良いけど。
「私は…今幸せだから。素敵な彼が誰よりも優しくしてくれる。私のダメな部分もちゃんと理解してくれようとしてくれる。 それに――――浮気相手とお揃いの物を、別れる前の彼女と会う時にしてくるような無神経さもない彼だから。 この先も大切にしていきたいと思う。今の彼を」
精一杯の笑顔で嫌味を言うしか出来なかった。
悔しくて仕方がない自分の気持、どうしても処理し切れなくなりそうだから。幸治と言葉を交わす機会なんて、この先きっとない。 だとすれば、今抱えてしまった悔しさ言葉にしておかないと、心の中に塵のように積もってしまいのは目に見えている。

歩き出そうとして視線を外した時、幸治が呟くように言葉を掛けてきた。
「優は俺を好きだった?」
「幸治と付き合っている時、私が一番愛していたのは多分自分自身だけだったのかも知れない。 真面目が取り柄の人が良いと思ってて、幸治の事ちっとも見ていなかったのかも知れない。でも、幸治の優しい笑顔は大好きだったよ。いつも心の支えだった」
私に言える精一杯の言葉。
バカだった自分をきちんと晒そう。相手を責めるだけでなく、自分にだって省みなくちゃいけない部分がある事を認めたい。 それは自分自身のためだから。
「俺、優が本気で好きだった。優の心が欲しかった。手に入らない事が悔しくて切なかったんだ。だから、最後は諦めに似た気持ちで逃げ出した」
掛けられた言葉に振り返らず歩き出す。

心の中に出来た小さなしこりは、時間と共に消えて行くに違いないと思える。
幸治ごめん。その言葉の全てが真実だとは思わない。それでも、幸治が付き合っている間のほんのわずかな時間でも、 私を本当に好きで居てくれた時間があるのなら、心からありがとうと感謝できる人間になりたい。
今はまだそんな余裕なんてないけれど、いつか、幸治との恋愛を振り返った時、笑える日が来ると思いたい。

「待った?ごめんね」
駆け寄った私を見て、孝明は嬉しそうに笑ってくれた。
「この後どこに行く?」
「そうだなーお洒落じゃなくて、気を張り過ぎないような場所。孝明が格好付けていなくて良いような所が良い」
私の笑顔を見て、孝明は少し驚いた顔をする。
「格好付けなくて良い場所?」
「そう。私、孝明の普段の顔を見たい。作られた孝明なんかじゃなくて、素の孝明って人間と付き合っていきたいから。 良い部分は今まで沢山見せてもらった。だから、この先は強い部分や良い部分だけじゃなく、弱い部分も情けない部分も見たい」

一瞬黙った孝明の手を取る。
「優、どうしたの?」
「どうもしてないよ。孝明を今よりもずっと好きになりたいから」
その言葉に嬉しそうに笑ってくれる顔。
情けなくてダメな人間で、究極の我侭娘で。そんな私を受け入れてくれる存在と、正面から向き合っていきたい。 それは都合の良い言い訳なのかも知れない。
けれど、正面から向き合わず、都合の良い部分だけで恋愛を進めてきた過去の自分にさようならしたいから。 手を取り笑い合える存在を、今よりも大切にする人間になっていきたいから。

だから、もっとあなたの本当の顔を見せて。
もっと私の色々な表情を見て。
情けない部分も全部、お互い包み込んでいけるような恋愛にしていこう?

私の心の声が聞こえてしまったかのように、孝明が笑う。
「そっか、俺言ったもんな。本気の恋させてやるって」
「うん。正直、本気の恋はまだまだ出来てない。だから、もっと孝明でいっぱいにしてよ。ずっと傍に居たいと願って仕方がなくなるくらい 孝明の愛情で満たしてくれないと。私満足なんて出来ないよ?」
「言ってくれるじゃん?俺に本気で惚れたら、離れられなくなるよ?」

三十路前、バカップル上等。
ダメ人間全開。
親からの「嫁に行け攻撃」も随分慣れた。
友達からの結婚式の案内状が何通届いたか、数えるのも諦めた。
そんな、負け犬。負け組にむかって一直線の私。
それでも恋したい。だって女だから。

負け組へのレールの上に乗ってしまったとしても良い。
今更な年齢かも知れない。けれど、私は私の目の前にある本物の恋≠ノなりそうな今の状況から、絶対に逃げない。

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