― ウサギとトラ ― 

 

 

 

「おはようございます」
冷ややかな声が背後から聞こえてきて、3人で振り返る。そこにはパートの3人が腕組しながら、軽蔑の眼差しに近い視線でこちらを捕らえている。
「おはよう。皆に紹介するよ。今日から事務で働いてもらう牧山さん」
志島さんが笑顔でパートさんに話し掛けるも、3人は冷ややかな表情のまま。
その不穏な空気に志島さんが気付いているのかは不明。3人の紹介をしてもらった。 パンチ頭風の髪型のおばさんは林さん。マッチ捧のように細い帰山さん。性別不祥気味の加賀田さん。
「よろしくお願いします」
一応、作り笑い全開の笑顔で頭を下げる。上から目線で「どうも」だけで終了。
気まずい…って言うか完全に嫌われているって状況を飲み込める。

「社長、今日の納品予定のリストは?」
志島さんに対する態度や口調で、パートの主導権は絶対に林さんだと分かる。
「これです。梱包量と納品先が多いから気を付けてお願いします」
どっちが偉いのか分からなくなりそうな、腰の低い志島さんと態度の大きなパート組。
あからさまに機嫌の悪そうな顔でその場を後にして行った。


「じゃあ、このバスマットの価格は牧山さんに決めてもらうか」
3人になると百田さんは1枚のバスマットを持ってきた。
「そうだね、牧山さんだったら定価いくらでこれを買うかな?」
志島さんも聞いてくる。まるでテストされているような気分。
手に取ったバスマットのタグにはイタリア産の文字。手触りも悪くない。無地で綿100%。吸水性も悪くなさそう。 きっと乾燥機にかけても縮みの心配はないと思う商品。
「1,500円くらいなら絶対に買います。1,980円までなら出せるかな」
2人は顔を見合わせて黙ってしまう。あれ…私おかしい価格でも言ったかな。
「パートに聞いたら1,000円超えたら買わないって言われて、定価1,000円で設定して、納品時には6掛の600円で納品するつもりだったんだ」
百田さんの言葉に驚いた。せっかくのイタリア産なのに?こんなに良質なのに?
「イタリアの文字が入っていてその価格だったら…正直2流、3流品ってイメージにしかならないと思います…」
「牧山さんの言い値が通るか試してみようか?」
志島さんはチャレンジしてみようと言い出した。

百田さんと志島さん、私の3人はどう売り出すか、どう高級感を出すかの作戦に入る。
本当、初日から事務の仕事の説明を受けないまま、商品の売り出しの戦略を語るなんて。大きな会社だったら絶対にあり得ない状況。 中小企業、個人経営だからこその荒技に近い。
「麻紐でクラフト紙タグ付いていたら女の心は鷲掴みですよ。高級感も出るし。ただ、そのタグを作成するのにどれだけの金額が掛かるのかは分かりませんけど…」
「それ良いね。確かにオーガニックコットンとかのタグとかって麻紐でクラフトタグ付いている物多いよね。百田さん印刷会社に見積もり取ってもらえません?」
志島さんは乗り気で、その話は一気に動き出す。

「じゃー今から営業回るついでに印刷会社にも寄ってくるよ」
任しておけ!と勢い良く百田さんは会社を後にして行った。
2人になって志島さんはやっと事務の仕事の説明をしようと言う。もうお昼近い。3時間近くも話し込んでいた私達。
「ここが席なんだけど…ごめんね、狭くて」
指差されたデスクは、右側を新商品にするか健闘中の雑貨の山に占拠されている。そして左側は志島さんの机。 社長室だった部屋は、他の部屋が雑貨の山に埋もれていく中、いつの間にか事務所になっていたと笑った。
面接の時には気づかなかったデスクの存在。きっと雑貨の山に埋もれていたのを、私の採用が決まって掘り出した感じなのだろう。 大きな企業ではあり得ない状況の数々。驚かされる事も多いけれど、面白いと思う事も多い。


休憩室も雑貨の山。トイレは綺麗とは言えない。会社の玄関だって…正直汚い。
しいて言えば玄関を入ってすぐの応接室以外は…耐え難い散乱っぷり。確かに会社の状況を聞けば、海外からの輸入品を倉庫で荷捌きをして、 検品・梱包・納品先別に箱入れするから散らかるのは分かる。けれど、もっと効率良いやり方があるのに…。
歯がゆい。今までは綺麗に整頓された社内で、綺麗なデスクに整った環境で仕事をするのが当たり前になっていた。それなのに、自分の目の前の現状は 効率性も無視した職場で働いていくしかないなんて。でも、前に居た会社だったら掃除をしませんか?なんて業務の状況的に言い出すのは不可能だろうけど、 ここなら自分でやっていけば良いだけ。変えてみせる。仕事は好きになれるかどうか分からない。けれど、せっかく働く事になったからには嫌いになんてなりたくない。 今までと違う状況を受け入れて頑張ってみよう。
昼休み中に自分の中に沸き起こったそんな意気込みも、夕方には呆気なく根元から折れそうになるなんて…ね。


「社長、もう定時なんだけど梱包終わってないのよ」
私と志島さんが仕入れ伝票と納品伝票の仕分けをしていると、パートの林さんが事務所に顔を出した。
「残数はどれくらい?」
「籐のカゴ20個を1箱詰めにするのが、残12箱分。あとタオルの梱包が30枚を1箱詰めにするのが8箱分」
志島さんは困ったような顔で考え込んでいる。数秒の沈黙。
「残業とか出来ます?」
「無理。今日は私達全員この後用事があるから」
林さんは冷たく言い放つ。そして私に視線を向けてしらじらしい態度で言葉を投げ掛けてきた。
「牧山さんは社員ですよね?だったら牧山さん、続きをお願いしても良い?前にいた事務員さんは私達が出来なかった仕事はやってくれてたわ」
「え…はい。あの教えて頂ければやります」
「じゃあ、すぐに来てちょうだい」
林さんは一瞬にやりと笑みを浮かべ、事務室を後にして行った。

「俺、これから納品に出るからなるべく早目に戻るけど、梱包作業って大変だし…初日から迷惑掛けられないから、納品先に納期を延期してもらうように相談するよ。 前の事務員さんも度々ある梱包に嫌気がさして辞めて行ってたから」
心配そうにしている志島さん。
「大丈夫です。やってみます」
笑顔で言い残して事務所を後にした。
20箱程度の梱包作業なんて大した事ないでしょ、なんて思っていたのに。まさかね…それがとんでもなく大変な作業だったなんて思ってもいなかった。


「このカゴを、この紙で包んでテープでここを止める。10個ずつ積んでこのダンボールに2列にして入れて、隙間にはパッキン入れる」
林さんは早口で淡々と説明をしている。そのあまりの速さ、そして速さと反比例の仕事の複雑さ。まさか、この口頭での説明で終わり…って事だけはないよね?
そんな私の心配は的中するんだけどさ。
「タオルはこれと同じようにたたんで、このパックに入れて30枚を1箱に詰めるの。分かった?」
威圧感たっぷりに言い放ち、林さんは「じゃあお疲れ様です」とその場を去り、倉庫横の更衣室に消えて行く。
冗談でしょ?今ので説明終わりとか言う訳?


林さんが更衣室に入ってすぐ、3人の笑い声が聞こえて来る。 「お手並み拝見ってところね。まー若いだけが取り柄の女に出来る訳ないわね」
「社長も何であんな娘入れたのかしらね。グズそうな顔してるのに」
私に対しての悪口が漏れ聞こえてくる。
頭来た。絶対にやってやる。
「牧山さん…やっぱり納期延ばそう?」
不安そうな顔をしている志島さんに笑顔を向けた。
「やりますよ。大丈夫です」
笑顔を向け、作業台に視線を向けると涙が零れそうになった。
悲しいとか、困ったからなんかじゃない。悔しいから。
今まで仕事に対して何のプライドも持たずに生きて来た事を見透かされた気分だったから。聞こえてきた悪口の通りだから。
若いってだけが取り柄で、グズで、何からでも都合よく逃げていただけの自分を言い当てられたから。そして、今も目の前の雑貨の山を見ながら、 『もしかしたら自分には出来ないかも知れない』と半分逃げ腰になりそうな自分がいる事に悔しくて仕方がない。


「絶対、納期に間に合うように作業します。志島さんは納品に向って下さい」
根拠も何もないただの強がり。それを志島さんは絶対に分かっているはずなのに。
「分かった。ありがとう」
優しく微笑んで納品先に向かう準備を始めた。
悔しい。絶対に負けない。もう、若いだけが取り柄だなんて言わせない。理不尽な嫌がらせなんかに負けない。

負けるのは嫌。人生の負け組に向うのはこりごりよ!
林さんがトラで、私はウサギ。
端から見ればウサギに歩なんてない。でも窮鼠猫を噛むって言うくらいだから、ウサギだってトラに負けない。
きっと、多分…。その気になれば…。
そんな意気込みも目の前のカゴとタオルの山を見れば………消え入ってしまいそう。

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