― 恋が動き出す ― 

 

 

 

日曜、目が覚めるとまだ早朝4時。

目の前には坂田の寝顔があって一瞬驚いた。そうだ…昨日、公園でキスして、

『帰さないから』って言われて…。結局、坂田のマンションに泊まったんだった。

まだ薄明るい部屋の中を見回してみても、同世代の人間にしては高級な部屋。

家具とかもスッキリとした色合いとデザイン。けれど安っぽさはない。

このまま彼女という立場になっても良いのかな?なんて思いながら坂田の顔を

眺めていた。気持ち良さそうに寝ているな、なんて思いながら。

 

スーツを着て髪型も整えている時の顔はスッキリしていて、美形に見えるのに。

私服で髪も洗いざらしの状態の彼は、ごくありふれた顔。きっと街中で会っても

本当に親しい人以外は気付きそうにない。同一人物に思えない。

けれど、どちらかと言うと今の状態の坂田が一番良い。スーツを着てスッキリと

見えて、トークもそれなりで。そんな完璧な状態よりもずっと身近に感じられる。

『俺が本気の恋をさせてあげるよ』

そんな坂田の言葉が頭の中を巡る。あの時、夕日を浴びていた笑顔に胸の

奥がキュンと締め付けられるような気がした。

好きか嫌いかで言えば、きっと好き。けれどすごく好きかと聞かれれば…正直

分からないが本音。けれど、本気の恋をさせてあげるとか言っておきながらも、

しばらく連絡らしい連絡も寄こしてこない事に歯がゆかったり、強引にされると

抵抗も出来なくなる。

もっと私を引っ張って欲しいなんて思ってしまう私がいる。情けないよね…。

 

喉が渇いてベットから起き上がろうとすると、坂田が目を覚ました。

「おはよう。まさか、今日も逃げるとか?」

初めて会った時、入ったホテルから逃げた時の事を言っているようだった。

「喉渇いたの」

笑顔を作った私の腕を引いて、ベットに引き戻す。

「やーだ。寝起きくらい甘えさせて」

ぎゅっと抱き締められながら、額、鼻、頬、唇と順にされるキスに軽い眩暈。

不思議と心の奥が軽い痺れを感じるような感覚がする。女に甘えるなんて事の

似合わない男が、甘えるようにキスを繰り返す。

坂田はずるい。男らしく引っ張っていくような印象を与えてみたり、甘えるような

仕草を見せてみたり。そして、キスがすごく優しかったり。

掴み所のない印象がさらに深まっていくような感じがする。

 

「さて、お姫様にお茶でも持ってくるか」

ベットから出てキッチンへと向かいお茶のペットボトルを手に戻って来る。

こういう優しい部分にもときめいてしまうなんて、自分ってどれだけ恋愛免疫が

ないのだろう…。

「ありがとう」

手渡されたお茶を空け喉を潤す。

「まだ起きるのは早いんだけど」

ベットの中に戻ってもぞもぞと布団に首まで埋めて、眠そうにしている。

「坂田くんいつも何時に起きてるの?」

普通の質問をしたつもりだった。けれど気に障ったらしい。

「ねえ彼氏なのに坂田くんなの?孝明って呼んではくれないの?」

「え、恥ずかしいなって…」

枕に顔を埋めた私を枕から引き剥がして、肩を押さえ付ける。

「こんなに何度もキスして、こうやって同じ部屋、同じベットの上にいるのに?

孝明って呼ばないなら―――」

強引にキスの嵐がやってくる。強引なだけじゃなくて、髪の毛を撫でるように、

優しくて狂おしいキスが繰り返される。

 

「ちょっと待って、呼べば良いんでしょ。孝明って」

ずっと続きそうなキスを振り払って、息を切らしらがら言った私を見て笑う。

「坂田くんって言ったら、どんな場所だろうとキスするから。孝明って呼ばれて

嬉しいから、もう一回キスするけど」

そう言いながらもう一度引き寄せられてキスが繰り返される。

本当、恋したばかりの高校生同士のように、何度もそんな事を繰り返していた。

起きるには早いなんて言いながら、そのまま寝る事もないままに、ベットの中で

お昼近い時間までいた私達。多分、人様から見たら相当なバカップル。

けれど、そんな出来事の積み重ねの中で、心の中のときめきが大きくなる。

バカバカしくても良い。この時間が長く続いて欲しいと思ってしまう自分がいる。

 

 

夕方まで2人で過し、帰りは家まで送ってもらう事になった。

高級車の部類に入る国産車。その助手席に腰を下ろす。

その時、ふと目に入った可愛らしいゴミ箱。前に乗った時は気にならなかった。

今、彼女として乗って初めて気付いた『女の影』。けれど口になんて出来ない。

恐かった。また別の女の次の存在にされる恋愛になるのかなという恐怖心で、

さっきまでの心の奥が痺れるような、そんな時間を失いたくなくて目を閉じた。

今この時の幸せを失うのが恐い。

 

「次の休みにまた会おう。それまで連絡するから」

優しい笑顔。今、胸の中にあるもやもやした気持ちを少しだけ軽くしてくれる。

「休みの日しか会えないんだ?」

不安を消してくれる言葉が欲しかった。『いつ来ても良いよ』って言葉が欲しい。

目の前にある物が『本物の恋』だとしたら、それを見せて欲しくて。

「平日は俺の帰りが結構遅いよ。それでも良いなら会えるよ。親と暮らしてて、

平気で外泊出来るならいつでもどうぞ」

優しい笑顔。少しだけ心が軽くなる。足元に置かれた小さな可愛らしいゴミ箱に

視線を向けるのをやめた。心がかき乱されるから。幸せに影が落ちるから。

 

家の前に着いて車を降りようとした時、腕を引かれる。

「今度会う時までに合鍵用意しておくよ。電話もメールもするから」

「分かった。じゃあ、またね」

このままキスでもしとく?という状態の時、車の外の人と目が合った。

ゴルフから帰って来た様子の父親。心臓が止まるかと思った。

どう言い訳しても友人ですなんて通じないでしょ?車の中で手を取り合っていて

見つめ合っていて、今にもキスしそうな雰囲気を誤魔化すなんて無理…。

私の視線と強張ったような困惑したような表情に気付いた彼。

「もしかして…ご家族?」

質問に首を縦に振った私を見て、坂田はすぐに車を降りた。

 

「初めまして。坂田と言います。優さんとお付き合いさせて頂いています。昨晩

は連絡もなしに外泊させてしまい申し訳ありません」

営業マン特有の腰の低さで律儀に挨拶をしている。お父さんは怒るかな?との

私の不安とは相反して、父は嬉しそうに笑っていた。

「三十路も目の前の娘が、外泊もしない方が心配ですよ。今度ゆっくり遊びに

来て下さい」

にこやかに言葉を交わし、軽く頭を下げて家の中に入って行った。

「いきなり気まずかったでしょ…ごめん」

「いや。気にしないで。じゃあまたね」

頬に軽く触れる唇に鼓動がどんどん速くなる。背中に電流が走るようだった。

去って行く車を眺め、車が角を曲がり見えなくなるまで手を振った。

 

 

 

家に入ると甘い時間の余韻に浸る暇もなく、母親のマシンガントークが始まる。

彼氏は何才?

どんな仕事をしているの?

どこで知り合ったの?

付き合ってどのくらい?

結婚は考えているの?

誰も止めようもないような勢いで話す母を横目に、困惑している父を睨んだ。

いくら嫁に行く気配もなかった娘が、家の前で男と居たからって…家に帰って

靴を脱ぎながら母に話すなんて…。どれだけ嬉しかった訳?

私に睨まれながらも、にやにやしている父。そして止まらない母のトーク。

まさか言えないでしょ。昨日付き合って、その日のうちに部屋に泊まったなんて。

いちゃつき過ぎて帰るタイミング逃しただなんて。

その場を逃げるように後にして、部屋に入ると携帯にメールが届いていた。

 

【さっきまで一緒だったのに、もう会いたくなってる】

彼からのメール。どうしよう…こんな言葉、さらりと送って来ないで。

胸の奥が苦しい。本気で好きかって聞かれたら…まだ分からない。

けれど苦しい。不思議と傍に居たいと思ってしまうようになっている。

今朝までよりもずっと、一緒に居たいと望む気持ちが強くなっている。

 

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