― 時限爆弾 ― 

 

 

 

「優ちゃんとホテルに入ってから、酔い過ぎちゃって吐いたの覚えてる?」

無言のまま首を横に振った。

「じゃー吐いて髪の毛が汚れたからシャワー浴びて、その後『カツヒロ』って名前

呼びながら俺の胸にしがみ付いたのは覚えてる?」

ハンドルを握りながらこちらに視線を向け、にこりと微笑む。

「覚えてない…ごめんなさい。迷惑掛けたのね」

口ではそう答えながら、勝博の名前を呼んでいた事を聞かされて心が騒ぐ。

「あまりに切なそうな声で名前を呼んでしがみ付くから、首筋にキスしたら色気の

ある声聞かされて。正直そのまま抱いちゃおうかなんて思った。でもそれってさ、

男として面白くないじゃん。だからやめた。でも俺の前で他の男の名前を呼んだ

事は後悔してもらおうと思って。だからキスマークつけてみたんだけど」

あっけらかんと言う坂田に、思いつめていた自分がバカバカしくなった。

何かあったかもなんて悩んでいたけれど、そうじゃなかったと知って笑えてくる。

 

「良かった。何もなくて良かった」

自然とそんな言葉が口をついて出てきた。それは相手が坂田だからじゃない。

他の誰であっても同じ言葉が出たに違いない。

「俺とそんな関係にならなくて良かったって意味?」

明るく笑顔でそう聞かれて、正直に首を横に振る。

「ううん。坂田くんだからじゃなくて、一夜限りなんて嫌だから。男の人に都合の

良いだけの女にされるのはもう嫌だったから」

「そう。俺も何もしないままで良かったって今は思うよ。優ちゃんの事好きだから」

真っ直ぐに前を見つめたまま坂田が口にした。

男はこんな場合でも、奇麗事を並べられる生き物。例えそれが嘘でも。

「ははは、私の何が好きな訳?まだ何も始まってもいない関係なのに。好きって

もっと大切にしないといけない気持ちでしょ?私の何が分かるの?」

突き放すように言った言葉で、2人を一瞬の沈黙が包む。

 

「女は感情で恋愛するんだよね。男って、もっと単純な気持ちで恋愛するんだよ。

例えばインスピレーションだったり、性欲を刺激される相手だったり。居心地の

良さを求める男も居るかも知れないけど、俺はそんな理論的な恋愛なんて無理。

俺は優ちゃんと話したいと思うし、会いたいって何度も思った。十分じゃない?」

整った顔立ちから、作られた台詞のように綺麗な言葉が与えられる。

ときめかない訳じゃない。嬉しくない訳じゃない。それなのに

「十分かどうかなんて分からない」

そんな可愛らしくない言葉で濁してしまうのは、こんな風に言われた事がないのも

あるし、私と坂田じゃ見た目も立場も釣り合っていないからだと自覚があるから。

それは頭の中で嫌と言うほど理解出来ているのに、少しだけ…ほんの少しだけ、

キュンとしてしまうのはどうしてだろう。

男の奇麗事なんてうわべだけの言葉だって分かりきっている、自分の身をもって

経験しているの、悲しい事に気持ちだけはときめいてしまう。

 

 

 

坂田の言う『刺激的な感情』を与えてくれるデートは、バッティングセンターで。

正直、駐車場に車を止められた時は、ただのバカだなんて思った。

自分の腕の良さを見せたくて連れて来たんだろうな、なんて考えちゃったから。

 

「んで、あそこから出てくるボールを打つ!」

そう言ってバットを構えた坂田は、速いボールが向ってくると大きくバットを振る。

次の瞬間、ボールは凄い音を立て、坂田の後ろにあるネットに当る。

「俺、野球苦手なの。打てるのなんて数本に一度って感じ。だけど当ると嬉しい。

しかも当るとストレス飛んでいく感じなんだ。ほら、優ちゃんもやってみてよ」

野球少年が微笑むように嬉しそうな笑顔で私にバットを渡す。

「打てるわけないじゃん」

そう言ってバットを渋々構える。そして、坂田の指示通りのタイミングでバットを

思いっきり振る。大きな音がすぐ近くで響く。まさに快音。

坂田の大きな声で目を開けると、弧を描きながら遠くに飛んでいく白球。

「打てたじゃん!優ちゃんすごい!」

嬉しそうに喜ぶ坂田と大声を出しながら笑い合い、何度も何度も向ってくる球に

向ってバットを振った。最初のように上手く打てる事はなかったけれど、何度も

声を出して笑い合う時間、すごく楽しく感じた。

インドア派の私にとって、ずっと無縁だった場所。汚らしいイメージしかなかった

そんな場所だけれど、それは自分が思っていただけの事。

 

「体動かすのも良いでしょ?」

「うん。でもバット振るのって結構きついね。明日筋肉痛になりそうだよ」

坂田が私の顔をじーっと見ている。

「え?なに?何かおかしな事言った?」

「いや、楽しそうな顔したなって思って。そんな笑顔初めて見たかも」

ふっと優しく微笑んだ坂田。その顔に少し胸が音を立てる気がした。女は弱い。

男のさり気ない笑顔や言葉に刺激される。そんな自分を振り切るように考えを

切り替えるように笑った。

「こんなに体動かしたの久々だもん。こんな風に笑ったのも久しぶりだしね」

「彼にフラれたから?だから笑えなかった?」

率直な質問に、作ったばかりの笑顔が消えていく。この人、女の扱いが得意そう

なのに、どうしてこんな無神経な事聞くのかな?なんて思ってしまう。

「それもある。でも…彼との付き合いの中で、彼を本当に好きじゃなかった自分に

気付いちゃったんだ。彼に依存して自分の価値観とか振り返りもしないで逃げて、

それで幸せにしてもらいたいなんて考えてた。甘えてたんだよね。だから自分に

いっぱい嫌気がさした。だから笑えなかった」

 

しばらく黙っていた坂田が口を開く。

「夏樹ちゃんからフラれた理由とか少しだけ聞いた。それで自分を責めてるの?

優ちゃんって本当にお人好しなんだね。男が女と別れたい理由なんて、大概は

他に好きな女が出来たからじゃない?優ちゃんの出来ない事を別れの理由に

するのなんて、他の女と比較して感じた事の一片に過ぎないでしょ」

考えてもみなかった。もしかしたら他に好きな人が?って事は少しだけ頭の中で

浮かんだりもした。でも真面目な幸治に限ってそれはない、なんて思っていたし。

ううん。例え、坂田の言う事が確かであっても、私自身の気持ちが幸治に対して

本気の恋愛でなくて、依存心や一人になりたくない恐さの結果だったから。

「もし、彼に好きな人が出来たんだとしても、それを責める権利なんて私にない。

だって…私自身が彼を本気で好きだったかって聞かれたら…」

それ以上の言葉が出なかった。

「じゃあさ、俺が本気の恋をさせてあげるよ。過去とか未来とか関係ないくらいに

人を好きになる気持ち思い出させてあげる」

夕日を浴びながら目を細めて笑う顔を見て、心の奥の私が叫ぶ。

だめだよって。こんな男を好きになったら痛い目にあうんだって大声で叫ぶ。

見た目が良くて、口も達者で女慣れしてそうな男なんて論外だよって。

けれど、そんな自分の心のブレーキに背くように、心の奥の何かが音を立てる。

ダメだって思えば思うほど、こんな男って思うほど、恋なんてしちゃいけないんだと

考えるほどに、反比例してときめく心。どうしちゃったの私は。

 

―――――――――――――――――――――――――――――――― 

NEXT→ 10

BACK→ 08

TOPページへ

ネット小説ランキング>現代・恋愛 シリアス>負け組にむかってに投票

ランキングに参加しています。応援お願いします。

 

 

inserted by FC2 system