― 過去の男・1 ― 

 

 

 

店を飛び出しても、幸治が追ってくる事はなかった。

どうして別れたいなんて言われたんだろう。

別れたくなる理由は幸治の言葉だけが全てなのかな?

そんな答えの出ない疑問ばかりが頭の中を駆け巡る。ただひとつ変わらない事、

それは幸治が私と別れようと思ったという事実だけ。

家事や家計管理が出来ない事が別れの理由だなんて…馬鹿げている。

そんな事が出来ないまま結婚して、生活していく中で学んでいく人の方は多い。

それなのに、その事を理由として挙げて別れたいだなんて。

それって結局、幸治にとって私はその程度の人間でしかなかったって事。

 

ひとつだけ幸治の言葉に納得が出来るとするなら、本気で恋していなかった事。

それだけは言われても仕方がないと思う自分がいる。

『ときめきも感じないし、会いたくて仕方がないと思うこともない。

ただ平凡な日々が送れそうだから一緒に居た、違うかな』

まさに言葉通り。ときめきを感じたのも付き合ってすぐの頃だけ。

付き合った頃には結婚を意識する年齢になっていた事もあり、真面目が取り得の

幸治と上手く付き合っていけたら、と考えるようになっていた。

会いたくて仕方がないと思う事もなかったと思う。

会えれば楽しいけれど、会えなくても辛くはなかった。ただ付き合っているという

安心感が得られればそれで良かったのかも知れない。

 

一人、公園のベンチに腰を下ろして醒めない酔いと葛藤と、格闘していた。

辛い時いつも、頭の中を過ぎる人がいる。今もその人を思い出してしまう。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

その人――勝博と出会ったのは20才になってすぐの頃。

学校の友達と遊び終えて家に帰る途中、歩道を歩く私の横に一台の車が止まる。

「すいません。この辺に○○さんって家ないかな?」

ナンパだと思った。でも男が口にした家は私の同級生の家で、変わった苗字。

入り組んだ路地をぐねぐねと曲がった先に家がある。

「知ってますけど、かなり入り組んだ場所にありますよ」

「説明して欲しい。すごく急いでて…地図とか書いてくれる?」

地図で説明出来るような場所じゃないんだけど、と思いながら地図を書いて渡す。

「ありがとう」

男は真っ白な歯を見せて笑い、すぐに車を発進させて去って行った。

 

数分後、さっき見た車が戻って来た。

「あの…さっき聞いた家なんだけど、地図を見ても分からなくて…」

「だと思った。複雑だから。仕事とかでどうしても必要だったらナビしますよ?」

「マジ?じゃーこれ、俺の名刺。なんなら免許も見せる!怪しい事はしないから

ナビお願いしても良いかな?」

結局、人懐っこい笑顔と悪くなさそうな人柄を信じて車に乗ってナビをした。

名刺を見た。名前、森谷勝博。年は30才くらいかな。

 

「うわ…こんな場所だったら見付けられないよな」

入り組んだ路地を何箇所も曲がり、細い道を抜け、やっと目的の家に着いた。

「荷物を時間までに届けなきゃだめだったんだ。すぐ戻るから待ってて」

勝博はそれだけ言い残して車を出て行った。

どうしよう…このまま車で待ってて良いのかな?

待たないで歩いて帰ろうかな。でも、すぐに戻って来たとしたら途中で歩いている

私と会う訳で。どちらにしても気まずい。

そんな事を考えていると、本当にすぐに勝博は戻って来た。

「ごめんね。助かった。ここのお宅自営でしょ。機械の納品したんだけど不具合が

出ちゃって、新しい部品持って来ないと絶対納期の仕事が出来ないって怒られて。

家が見付からなかったら俺のクビが飛ぶところだった」

安心したように笑い、家まで送ると言い出した。

見ず知らずの人に家を知られるのは少し恐い。さっきの場所までで良いと告げる。

けれど勝博は遅い時間に女一人で歩いていたら危ないと言って聞かない。

 

車の中で「送るから」と、「別に大丈夫」の押し問答を繰り返す。

ふと目が合って、そのやり取りが妙におかしくて、2人顔を見合わせながら笑った。

「なんか送るって言い張るのも変質者っぽいよね」

勝博は照れたように笑った。その言い方が少し寂しさを含んだ感じ。

「私も変質者を扱うような言い方してたかも」

もう一度目が合って2人で笑う。この人、本当に悪い人ではなさそう。

仕事でどうしても仕方がなくて声を掛けてきたのは良く分かった。

「つき合せちゃってごめんね」

そう告げられた時、胸の奥がきゅんとなる。真っ白な歯がちらりと見える笑顔に

ときめきを感じてしまう。もう少しだけ一緒に居たい―――

 

「あの、じゃージュースでもおごって。ナビのお礼にどう?」

私の言葉に勝博はにこりと笑いながら「OK」と言って、車を発進させた。

缶ジュースを買ってって意味だったのに、気付けばファミレスの前で車が停まる。

「え?ファミレス?」

「もっとしっかりした店が良かった?」

「そうじゃなくて、缶ジュースで良かったのに」

「そうだったんだ。俺早とちりした感じ?まあ、店の前に来ちゃったし入ろうか?」

結局、2人でファミレスに入ってジュースを飲んで、少しだけ話をした。

勝博は29才。9才年上のサラリーマン。機械関係の営業マンらしい。

重い物を運んだりするからなのか、ネクタイは胸ポケットに入れてある。

近付きやすさを感じさせる笑顔に、本気でときめいてしまっていた。

 

「じゃーありがとう」

「こちらこそご馳走様でした。どうもありがとう」

家の前まで送ってもらい車を降りようとした時、向けられた笑顔が眩しかった。

車を降りてドアを閉めると、窓が開いた。

「あのさ、優ちゃんと話してて仕事のストレスとか軽くなった。楽しい時間だった。

名刺に書いてある携帯に連絡ちょうだい。また会いたい」

それだけ言い残して去っていく車を、呆然としたまま眺めていた。

連絡なんて…こっちから出来る訳ないじゃない。

 

 

3日後、携帯に連絡していた自分がいた。そして、その日のうちに会う事に。

「優ちゃんが連絡くれるなんて思ってなかったから、驚いたけど嬉しかった」

「私も楽しかったなーと思って。森谷さん安全そうだし」

「勝博で良いよ。安全じゃないかもよ?可愛い女がいるんだから狼になるかも」

「可愛くないし…」

自分の容姿に自信が持てなかった私は、言葉と同時に目を伏せた。

「そう?俺は可愛いと思う。笑顔なんて飛び切り可愛いけどなー」

何気ない勝博の言葉にすごく心が弾む。

勝博が言ってくれるお世辞に近い言葉の一つひとつが魔法のように、私の心を

躍らせて、温かくしてしまう。

 

 

 

そうやって会う回数が増え、沢山のときめきの中、勝博を好きで仕方がなくなる。

この人と一緒に居たいと思うばかりだった。

仕事が終わってから会いに来てくれる勝博と、週に何度も会って。

気付けば彼女になっていて。この幸せがずっと続くと信じていた。

勝博と一緒に生きていけると、何の疑いもなく信じきっていたバカな私。

20才の私は、まだまだ大人の現実なんて見えていなかったのかも知れない。

人の笑顔の奥底にあるものなんて見えずにいた。

勝博が「優を好きだ」と言ってくれる言葉を信じて、その言葉に人生の全てを

賭けてしまいたくなるくらい、その存在が大切だった。

 

ただひとつ、勝博にとっての「好き」は【2番目に】って部分が抜けていたこと。

一番になれなかった女が、その事実に気付くまでに長い時間を要した。

 

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