■□ ターゲット2 #6 □■



   羽衣との待ち合わせは20時半になった。残念ながら高利と千佳は2時間程前に待ち合わせ・合流し、一軒目の店で食事をしている。 2人の動向は山田から逐一メールで報告が来る。そろそろ店を出ようとしているとメールが来て焦っていた。
 羽衣は仕事の終わりが予定よりも遅れたので、待ち合わせに間に合わないかも知れないと連絡が入ったからだ。

 「お待たせ。何とかギリギリで間に合ったね」
 「おー!間に合わないかと思ったよ」
 息を切らしながら走り寄って来た羽衣を見ると、一生懸命走って来た感じが伝わってきて微笑ましかった。 昔から何にでも頑張る人間だったし、それは今も変わりないんだなと、時間の流れに芯≠ェ揺れ動かない事を羨ましく思う。

 「何食いたい?」
 「そうだなー。昼食が遅くなって4時頃に食べたから、軽めの食事が良いな。それよりも美味しいお酒がある店が良いな」
 羽衣の要望に応え、一軒の居酒屋に向う。
 和食中心のメニューと種類が豊富な、焼酎や日本酒を置いている店。店内も和モダンという言葉がよく似合う、雰囲気の良い質感だ。

 「うわーお酒がいっぱいだね」
 「だろ?好きなの頼んで良いよ」
 目を輝かせながら辛口の日本酒と、北海道で作られている山ワサビ入りのチーズを、生ハムで巻いたお洒落なつまみ、焼き魚と刺身。 豚トロのあぶり焼をチョイスする。
 「羽衣の選ぶものってオヤジっぽいな」
 「よく言われる。でも好きな物を食べて、美味しいお酒を飲みながら、日常の毒抜きが出来るんだったら、オヤジって言われても良いわ」
 嬉しそうに箸を進めながら酒を飲む姿は、社会人になって間もないとは思えない風格を醸し出している。

 「で、将哉が話があるってメールしてくるなんて何かあった?」
 「好きな女がいてさ。なかなか近付けなくて。でも女心についての相談は羽衣くらいにしか出来ないからさ」
 適当に話を作り羽衣に相談をするような形で話題を進めた。羽衣が語る女の恋愛感は的外れでも、洗練されたものでもない。 一般のどこにでもあるような恋愛感を楽しそうに話す。その姿を見ていると、ずっと汚れないままでいて欲しいと思う。

 酒も進み、話題はいつの間にか羽衣と高利の恋愛の愚痴になっていた。
 「高利は全然理解が足りないんだよ。それに『派手な女はダメだ!』って考え方が昔からあったでしょ? 最近エスカレートしちゃってる。 ネイルにちょっとラインストーンとか付けただけで嫌そうな顔したりするの。まだ20代前半よ?お洒落だってしたいのにさ」
 「ネイルくらい皆してるよな。羽衣だって仕事に支障がない程度のお洒落を楽しみたいよな。今度、しめてやるから」
 羽衣が求めているのは鳴鶴在陰かな。自分の存在を認め、自分が進もうとしている道・仕事を温かな目で見守って欲しいのだと思う。
 高利が求めているのは婉娩聴従だろう。自分の意思を理解し、それに従ってくれるある種の内助の功を願っているように思う。

 羽衣は随分と我慢していたようで、酒を飲んで勢いもついたのか、日頃の膿を散々吐き出していた。 時間は22時半になろうとしていた時、携帯に一通のメールが届いた。
 【千佳達はそろそろ店を出るようだ。15分程したら店を出て、駅まで向う予定だ。無事に進められそうか?】
 不覚にも心臓が大きな音を立てる。
 この計画は失敗できない。今この瞬間、この店を出て駅前通に面した、ガラス張りのお洒落なバーに高利と千佳が居る。 2人が揃っている所を羽衣に見せる必要がある。

 「そろそろ店変える?」
 「うわ、もうこんな時間なの?明日打ち合わせあるから、そろそろ帰らないと。将哉と話してたら楽しくて時間があっと言う間だよ」
 腕時計を見て時間に驚きながら、それでも表情は晴れやかで明るい。 誰かに相談出来るだけで随分と気持ちが軽くなるんだろうな。女の子は。

 「どうもご馳走様です」
 店を出ると羽衣はペコリと頭を下げる。今日は俺がおごったから。同い年の友達同士。男がおごってばかりが当然だと思っていない姿は、本当にズルさや汚れとは無縁のようだ。
 「また今度、女の事で相談したくなったらよろしく」
 「OK。私の愚痴にも付き合ってもらうから」
 2人並んで駅まで向う。 レンガ造りのビルは大きなガラスがはめ込まれ、アンティークな調度品が良く似合う軟らかな光を暗い歩道に漏らしている。 そのガラスの向こうに高利と千佳が並んで座っているのが見えた。

 「お!あれ高利じゃない?」
 羽衣に向って声を掛けた。
 羽衣の視線が高利を捕らえるまでの数秒がひどく長く感じた。 この胸を伝う鼓動が漏れ聞こえぬように願い、作り笑いを浮かべて羽衣の顔を覗き込んだ。

 無言でガラスの向こうのカウンターに並ぶ高利と千佳。羽衣はただ無言で2人を眺めていた。 そんな儚さのにじみ出るような姿を目の前にして、どうすれば良いのか分からなくなった。仕事とは言え自分で種を蒔いたのに。
 羽衣の表情があまりにも感情がなさ過ぎて。
 怒っているのか、そうでないのか。苦しいのか、平気なのか。
羽衣の表情から読み取れなくて、どう反応すれば良いのか分からなかった。

 「綺麗な人だね。高利の好みのタイプじゃない?デートかな」
 人事のような言葉を口にした。その顔には、ほのかに笑みが浮かんでいた。呆れていると言う言葉が合う状況なのかな。
 「仕事の関係じゃない? それとも俺と羽衣が今一緒に居るように、友達の彼女に相談されてるとか」
 「そうだね。そうかも知れないね」
 俺は何がしたいのだろう。
 羽衣に高利と千佳の姿≠見せなくてはいけないし、高利に対して疑いの気持ちを芽生えさせなければいけないのに。 フォローするような言葉を並べ、羽衣に高利の揺れ動く心を悟られないようにと必死になっている。

 駅までの道は言葉が続かなかった。なんて言葉を掛ければ良いのかなんて分からない。 今、何を言っても薄っぺらで安っぽくなりそうな気がするから。
 必死に笑おうとする羽衣を見れば謝りたくなってしまうから。

 「今日はご馳走様。また一緒にご飯しようね。今後は私がおごるから」
 「おう、またな。旨いラーメ食べに連れてってくれ」
 頷いた羽衣は手を振って歩き出す。その後姿を見ていると、羽衣の歩みが止まる。ゆっくりと振り返った。

 「今日の事、私と会った事は高利には内緒にしてね。もちろん高利を見た事も内緒にして」
 俺の返事を待たずして羽衣は走り出し、改札を抜けて行った。どんな表情で去って行ったのかを知ることは出来なかった。


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 「おつかれさん。乗れよ」
 駅前に乗りつけたワンボックスカーの運転席の窓から、山田がタバコをふかしながら顔を出した。 真っ白な煙に目を細めた山田の表情に笑顔はなかった。それだけで救われる。笑える状況ではなかったから。たった今、羽衣の切ない表情を見ていたのだから。

 無言のまま走り出した車は事務所に向う――――はずだった。けれど事務所を通過して高速へと向う。
 「どうしたんですか?」
 「良いから。黙ってろ」
 くわえタバコでにやりと笑顔を作る山田の顔を見て、背筋が凍るようだった。この人の笑顔が実は恐いと初めて気付く。 目の奥が凍っているような冷たさを含んでいる。愛嬌のある笑顔に騙されて気付いていなかった。
 もしかして…俺の命は終わるのか?なんて不安さえ頭を過ぎる。山田の顔が恐かった。

 無言のまま車は海沿いの曲りくねった細い道を走る。
 「会長、また逃走したみたいだ」
 やっと山田が口を開いた時は凄く安心した。いつもの山田に戻っているように感じたから。
 「また?今日も居酒屋で一人で飲んでるんじゃないの?」
 「いや、今日は違う。多分この先に居るさ」

 自信があるというような山田の言葉を聞いていた。こんなド田舎に? 真直が一人で来るのか? 頭をかすめる疑問は、結局言葉に出来ないままだった。山田に対して何かを言うのが恐いと思ったから。何となく、今日の山田はそっとしておくのが正しいように思える。

 真直が抱えている何かに、ほんのわずかな瞬間でも触れる事があるなんて想像もついていなかった。この先に、普段は知らない真直の一面が待っているとは考えてもみなかった。
 同時に、山田が何を考えているのかも知らなかった。
 自分以外の人間達の繋がりが、どんなに複雑なもので、そこにどんな感情が伴っているのか――――なんて考えた事すらなかったのはガキだったから。
 誰かの心の中にある何か≠竅Aその重さを考えるようになったのは、きっとこの出来事がきっかけになったはずだ。

2009.08.31
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