■□ ターゲット2 #5 □■
「いきなり誘って悪かったな」
申し訳なさそうな言葉と反比例した笑顔で高利が言う。
「いや、良いよ。香奈ちゃんにも会えるし」
街中で男2人。いかにも待ち合わせに相応しい場所に、大きな街頭テレビの下に居る。
今日は高利からの誘いだった。千佳とのメールのやり取りで会う約束をしたから、一緒に行こうと声を掛けてきた。きっと一人だと不安なのだと思う。これ以上、千佳に惹かれてしまいそうな自分に対して、一線を引きたいのかと思う。
「羽衣にバレたら大変じゃないのか?」
「別に浮気じゃないし。女友達と遊ぶだけだから」
自分に言い聞かせるように呟いた。けれど視線が泳ぐのを見逃さなかった。
後ろめたいのは、多分千佳に惹かれているのを実感しているからだろう。
「お待たせー」
ハイテンションで声を掛けてきたのは香奈。その少し後ろに、はにかんだような笑顔で千佳が立っている。
2人の姿を見て高利の顔がほころぶ。
「じゃあ行こうか」
高利に連れられて向ったのは遊園地。こんな場所に来るなんて久しぶりだ。
「絶叫系に乗りたい!」
香奈の一言で俺と香奈は絶叫系のアトラクションに乗る事にした。もちろん、千佳と高利を2人にきりにするための計画だけれど。
「私、絶叫系はちょっと苦手なの」
申し訳なさそうに言う千佳。その演技は最高に自然だ。高利はそんな千佳を気遣うような素振りを見せる。
「千佳ちゃん苦手なの?俺、香奈ちゃんと絶叫系行ってくるから、高利は千佳ちゃんの乗りたいアトラクションに連れて行けよ」
「分かった」
俺の言葉に疑う様子もなく、高利は千佳を連れて少々乙女チックなアトラクションへと向った。
「さて、これからどうします?」
「どうしようかね。取りあえず遠巻きに尾行でもしてみる?それにしても、香奈の仕事モードへの切り換えは神業だな。一気にテンションダウンさせるんだからな」
呟くように言いながら呆気に取られている俺を見て、香奈はふふっと声を出して笑った。
「ハイテンションな場面全部が演技ですから。さて2人の様子を見に行きましょう」
杉山に似た不敵な笑いを顔に出し、香奈は2人が向った先に足を進める。苦手だ、なんて言葉が頭の中を過ぎる。
計算高くて人を見下す、香奈も杉山も苦手だ。自分の母親を見ているようで寒気がする。演技でも良い。
笑ってテンション高めにしている香奈を見ている方が、気持ちが安らぐ。本音の部分になんて触れたくもない人種だ。
ゆっくりと2人の後を尾行した。
千佳と一緒に居る時の高利の笑顔は、大学時代に羽衣と付き合って間もない頃のようにイキイキとしている。
4年ちょっとの時間の重さを痛感する。高利と羽衣の関係は大きく変化し、今ではひびだらけの状態。
そして、そんな恋人関係を抱えながら他の女に惹かれていく高利の姿を、親友として・仕事として見ていく事の複雑さ。
結局その日は、帰り時間寸前まで2人きりにしてみた。
携帯に「どこにいる?」と連絡が入る度に、アトラクションに乗るところだと言い訳していた。
高利自身それに対して不満を言ってくる様子がないのは、千佳と2人の時間に不満がないからだろう。
やっと4人が揃った時には陽が落ちて当りは暗くなっていた。
「ねえ、帰る前に観覧車に乗りたい」
香奈の一言で観覧車に乗る事が決定した。
観覧車か…最初のターゲットとの別れの場所が観覧車だった事を思い出し、複雑な気持ちが鮮明に蘇る。
4人で並んで、あと少しで順番が回って来るという時、香奈はトイレに行きたいと言い出す。もちろん計画的にだけれど。
「順番来ちゃったな。乗るのやめる?」
高利が言い出した。それは絶対に阻止しなければならない。
「俺、香奈ちゃん来るの待ってるから先に乗れよ。多分、香奈ちゃんすぐ来るだろうし。せっかく並んだのにやめるの勿体ないし」
千佳と高利に先に乗るように勧めた。高利と千佳が乗り、ゴンドラのドアが閉まり上に向い始めた時に香奈が戻ってくる。
「作戦成功ね」
「そう…だな」
そう、作戦は大きく進む。1週30分以上かかる観覧車。中盤まで差し掛かる頃には…実行役千佳の仕事が始まる。
高所恐怖症≠理由に高利の胸にしがみ付く――――そんな島崎が用意した陳腐なシナリオ。きっと千佳なら自然に演じるだろう。
その時、高利はどんな反応を見せるのだろう。
後続のゴンドラに乗った俺と香奈が周回を終え、観覧車を降りると観覧車の近くにあるベンチに高利と千佳が座っていた。
千佳の手を握り締めている高利の姿を見た時、複雑な気持ちが込み上げる。
羽衣ごめん。高利ごめん。そんな、2人に対して謝罪している心。
そしてもう1つ。これで良いんだと、自分に言い聞かせる気持ち。
相反する2つの複雑な感情が心の奥を揺さぶる。
その日は駅でそれぞれ別れた。
何度も暴走をする自分の感情に振り回される。友達を裏切っていると何度も考えたり、これで良いと思ってみたり。
どれもこれも出てきては消えを繰り返している。自分の考えもまとまらないまま、それでも時間だけは進む。
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数日経って、山田から報告があった。
観覧車の中での高利と千佳の様子を詳しく聞かされた。
「高所恐怖症で恐いの」
千佳が告げると高利は千佳の手を握り締めた。
「最初に言ってくれれば良かったのに。ごめんね」
それだけ言って千佳の肩に手を回し、言葉少ないままに降りるまでの時間を過したようだった。
「女としては、高利のこの行動をどうみる?」
報告書を机に投げ捨てるうにしながら杉山に意見を聞いてみた。杉山がまともな女には思えてはいないけれど。
参考程度の意見くらいは出せるだろうと考えていた。
「どうかな。ターゲットの心が千佳に向いているのは確かだと思うけど。男としてはどうなの?」
質問に質問で返されて答えに詰まる。本当…扱いにくい女だ。
俺だったら――――と頭の中で2つのパターンが浮かぶ。
完全に友達としてしか見れない女と、心惹かれる女が居るとして。高所恐怖症だと言って来たら。
友達だったら「大丈夫だって!落ちないんだし」なんて励ましてしまうだろうな。
好きな女だったら…多分、高利と同じような行動をするだろう。優しい男でありたくて。
「それはそうと、千佳とターゲット3日後に会うらしいわよ?島崎さんがシナリオ決めるって意気込んでた。聞いてる?」
杉山の言葉に驚いて顔を上げた。聞いていない。
高利から今朝もメールはもらっているけれど、そんな事は一言も書かれていなかった。
「何も答えないって事は聞いてないのね。将哉、その日にターゲットの彼女と会う約束出来そう?
可能だったら千佳とターゲットが2人で居る姿を、その彼女に目撃させたいって島崎さんも言ってたわ」
「分かった…メールしてみる」
羽衣にメールをしてみた。3日後の週末、一緒にご飯を食べに行こうと誘った。
仕事の終わりが遅くなるけれど、その後であれば良いと返事が返ってきて一安心する。
もう本当に止められない、2人の運命の歯車を壊す時間が始まる。
いや、もしかしたら誰かに壊されてしまう事自体が、最初から運命だったのかもしれない。
友達として最後に出来る事。それは傷の浅い、けれど相手に戻る事のないような別れを用意してあげる事だ。
高利との別れを目の前にした時、羽衣が流す涙が一滴でも少なくなるよう、鋭利で切れ味の良いナイフで切り裂きような傷を与えよう。
最大限に浅い傷。流す血が早く止まるように、綺麗な傷口にしてあげよう。
それが友達として出来るせめてもの気遣いだから――――