■□ ターゲット2 #4 □■
数日経って、久しぶりの休み。
普段は家でごろごろしているけれど、何となくアパートに一人で居るのが嫌だった。
昨日、母親から荷物が届いた。野菜や米などと一緒に便箋3枚に綴られた手紙まで入っていた。
結局その手紙は読んでいない。読みたくなんてなかった。大嫌いな母親の言葉を脳に入れたくない。
けれど捨てる勇気も持てない上に、床に無造作に置いた荷物に目が行くたびに手紙の存在が気になるから。
そんな空間に居るのが嫌で飛び出すように、行き先もなく部屋を出た。
平日の昼間、すれ違うのは子供を連れた若い母親や、買い物に向う主婦だったり、年寄りばかり。
アパートからそれほど遠くない緑が茂る大きな公園のベンチに腰を下ろしていた。
冬の公園の空気は冷たくて、何だか居心地が良かった。頭の中を冷やしてくれるように思えて。
手に持った空き缶を眺めていると、自分って何なんだろうという葛藤が再び蘇ってくる。
「こんな所で何しているんだ?」
背後からかけられた声に振り返らなかった。
真直の優しい声。平日の昼間に偶然にこんな場所で会う訳がない。
俺の行動の大半は監視されているのか、自由なんて全くないのかも知れないと思うしか出来なかった。
「俺を探したの?」
「いや。テレパシーかな。将哉がここに居るだろうなって、友達の勘かもな」
友達――――真直にとってそれが本音なのかまで疑いたくなる。
「友達…ね」
「今回のターゲット、将哉の友達なんだって?仕事、嫌だったら下りても良いんだぞ?」
心配そうに顔を覗き込まれる。その目は心配してくれているようだった。
「誰から聞いたの?山田さんや杉山が言った?まさかね…あの2人がそんな事する訳ないよな」
「千佳が教えてくれた。どうかしているって言ってた。将哉の弱みにつけ込んでそこまでさせるのかって、すごい剣幕で怒ってたぞ」
千佳が怒る?そんな素振りなんて見せなかったのに。
怒るどころか、今回の仕事だって友達のためにと割り切るように諭されたって言うのに。
「真直はもし俺を影で裏切るような仕事を与えられたら――――その仕事を引き受けられる?」
しばし続く無言の時間が、体中をピリピリと包み込むようだった。
「どうかな。その仕事が将哉にとってプラスになるようだったら、友達として幸せな方向に向かせてやれるとしたら――――断らないだろうな」
その目に嘘はないように思えた。
それから真直に心の中にある葛藤を全て吐き出すように話していた。
真直は意見を言うでもなく、説教じみた話をするでもなく、ただ相槌を打ちながらじっと聞いてくれていた。
そんな時間はとても平和で、心の中にある迷いの全てをすくい取ってくれる何かに縋りたいと思えた。
「将哉、俺はお前を手に入れたい、お前を傍に置いておきたいと…我侭になり過ぎたのかもな。
こうやって将哉を苦しませる事になったのは、全部俺のせいなのかも知れないよな」
真直の寂しそうな声が聞こえた。
「違う!俺は真直に救われたんだ。あの日、二木の事で生きる道さえ見失いかけた俺に先の人生を与えてくれたのは真直だ。
そりゃ…今まで経験した事のないような全てを見る事になったのも事実だし、実行役として仕事を始めてからの心の葛藤だって重い。
だけど、それを真直のせいだなんて思ったりしてない。俺は命を救ってもらったんだ。それだけで十分感謝してる」
精一杯の言葉だった。本当なら恨みつらみ言いたい事だって、心のどこかにあるかも知れない。
けれどそんな言葉の一つも、本人を目の前にしてしまえば消え入ってしまう。
自覚もないままに、真直という存在が自分にとって大きなものになっているのだと知る。
「将哉…お前にそこまで言わせてしまうのも、俺がこんな立場だからだろうな」
吐き捨てるような言葉に心の奥を掻き毟られるように痛み、苛立った。
真直が違う立場だったら、俺の口からこんな言葉は出ないと思っているのか?と考えると苦しくなる。
「それって、俺が会長の真直≠セから言ってるとでも言いたいの?」
俺の質問に答えを出さず、真直の視線は地に落とされたまま。目の前が真っ暗になった気がした。
真直の口にする友達≠チて一体なんだよ?そんな疑問が心の中を占領し、俺自身の感情を爆発させそうな程に苛つかせる。
「俺、真直を会長≠ニして扱った事がある?友達って真直言ったよね?友達って何だよ?
真直が言う友達って一体何だよ?俺は真直がこの世界のすげー偉い人間だってのは分かってるよ。
だけど、真直は真直だろ?24時間会長≠オてる訳じゃないし、本当は気さくで汚い居酒屋が好きで…おやじギャグも好きで。
そんな普通の男だろ。ちゃんと真直≠チて一人の男を見てるんだぞ。今まで、真直にどんな友達≠ェ居たのかなんて知らない。
どんな傷を持っているのか知らない。だけどこれだけは忘れないでくれよ、俺は真直の心に傷を残していった過去のお友達と違うから」
下に視線を落としたままの真直をベンチに残したまま、それ以上の言葉をかける事もなく立ち去った。
真直――――どれだけ人に対して猜疑心持ってるんだよ。
何度も一緒に飲んで心の内を語っても、お前の本音は数パーセントしか見えないのか。
心の中で爆発しそうな感情たちがうごめく。
友達って一体なんだ?
本音を語るってなんだ?
全部、自分だけじゃなく、全てが相手の感情を伴う事だとしたら、友達≠セと思う事自体がエゴなのか。
結局は自分だけが思っているだけで、相手には伝わっていない事なのかも知れない。
歯がゆかった。友達って何だろう。答えなんて簡単に見付からない。回答のない問いを与えられたのかな。イタズラな神様に。
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苛立った気持ちで街中を歩き回った。行き先なんてない。
けれど一軒の店の前に立ち、そう言えば羽衣の就職先ってこの辺りだったのを思い出した。
オフィス街の高層ビルに挟まれ、肩身の狭そうな姿でポツリと姿を現した小さな木造の建物。
羽衣はプランナーとして働いている。
経営の傾いている会社の経営改善案を出したり、実際にその会社で働きながらワークフローの見直し案を作成しているようだ。
羽衣が担当しているのは主に歯科医院。全国的に歯科医院の乱立で、市街地は歯科医院の過剰供給状態の中で、経営的に厳しい医院も多いようだ。
大学でも羽衣はいつも熱心に経営学を学んでいたから、一生懸命仕事をしている姿が目に浮かぶようだ。
ポケットから携帯を取り出し、羽衣にメールをしてみた。
【会社の近くに居るんだけど、昼飯でも一緒にどう?】
何となく羽衣の顔を見たくなった。
大学時代に楽しく話し、一緒に遊んだ友達として顔を見たくなったから。
【どうしたの?もう少しで休憩に入れそうだから、将哉が平気なら少し待ってて】
すぐに返信が来て、近くの本屋で時間を潰していた。
「みーつけた」
背後から掛けられた声に驚いて振り返る。聞き覚えのある声。
振り返るとそこには笑顔の羽衣が立っていた。
「電話くれると思ってたのに」
「将哉なら本屋に居るだろうなって思って。昔から本好きだったし」
何気ない羽衣の一言で思い出した。学生の頃は本が大好きで、毎日のように図書館に行っていたっけ。
この世界に足を踏み入れてからは経済系や、美術系の本以外に目を通す事はなくなっていた。
「将哉っていつも医学の歴史とか、少し難しい話を読んでた記憶があるよ。医者になれば良いのにって思ってた」
「別に医学に興味があったんじゃないんだ。薬が開発されるまでの過程が気になったり、薬が開発されるための犠牲者の歴史に興味があったんだ」
羽衣は目を丸くして「変なの」と笑っている。そうだった、ずっと医学の歴史が好きだった。今更思い出しても意味がないけれど。
自分が好きだったものさえも忘れていくって、大人になっていくって色々大変だ、なんて人事のように考えたりした。
「将哉のおごりで何食べようか?」
「俺のおごりっていつ決めたんだよ」
こうやって笑い合う時間が懐かしい。羽衣の無垢な笑顔を見ていると、罪悪感が心の奥を突き刺すような痛みを与える。
ランチが出てくると羽衣は嬉しそうに箸を進める。あどけない仕草を見ていると、あの頃と何も変わっていないように思える。
けれど話の内容は立派に社会人で。仕事への責任感もしっかり持って働いている様子が伝わってくる。
何も変わっていないのは俺だけなのかも知れないな…。夢も希望もないままに生き、流されるように与えられた道を進むだけ。
そんな自分が滑稽に思えた。何気ない友達の笑顔に、自分との温度差を感じずにいられない。
「高利が将哉は調査会社で働いているって言ってた。どんな仕事してるの?」
ドキリとさせられる。高利にも同じ質問をされ、同じように動揺したのはごく最近の事だ。
もちろん、2人の関係を壊すための仕事をしているだなんて、とてもじゃないけれど言えない。
「企業の経営調査がメインの仕事なんだ。経営状態や実態調査の報告書をまとめるだけの事務員みたいな仕事」
嬉しそうに話を聞く羽衣。また一つ嘘が増える。また一つ、自分の心に言い訳しながら誤魔化していく。
もう嘘なんて嫌だと思いながらも、反比例するように嘘を重ねながら生きる。こんな生き方に何か意味があるのか――――
「高利とうまくいってる?」
「どうかな。最近、高利忙しくてなかなか会えないんだ。それに…社会人になると仕事に対しての考え方とかの違いが出てきた。
学生の頃の付き合いとは少し違ってきたかな」
「へえ、仕事に対するスタンスに差があるんだ?愚痴なら聞くけど?」
探るように話を聞きだそうとしていた。それが友達として出た言葉か?と問われれば否。
確実に仕事に対する方向に頭が切り替わっている。
羽衣はぽつりぽつりと話し始めた。
高利は考え方が古い人間なのは昔から知っていた。それは現在も変化がないようで、羽衣が残業続きの時に良い顔をしないらしい。
お互いに社会人になり、仕事に対する責任を持つ立場になっているのに、『男は仕事・女は家庭に』という考えを持っているようだ。
だからこそ、羽衣にはそれなりに仕事して、早めの帰宅を望むようだった。けれど羽衣はキャリア志向が強い。
仕事で男に負けたくないとか、新人だけど早く仕事を覚えていきたいとか、常に前向きな考えで仕事をしているのが伝わってくる。
友達・恋人、そして家族。
それぞれが時間と共に形を変え、織りなす色を変化させながら再構築を繰り返しているのかも知れない。なんて考えたりしていた。
散々話して、時間はあっと言う間に過ぎ、羽衣の休憩時間の終わりが近付いてきた。
「やばい。そろそろ戻らないと」
腕時計に視線を落としながら慌てた様子で水を飲む。
「じゃあ会計は俺が済ませておくから、仕事に戻れよ」
「ありがとう。また今度ゆっくりご飯でも食べよう。高利に言えないような愚痴も、将哉に話すとすごく楽になった」
「いつでもメールして。羽衣の愚痴に付き合うためなら時間作るし」
笑顔で答えると羽衣は嬉しそうに笑い、「ありがとう。じゃあ今度メールするね」と言い残し、足早に店を出て行った。
一人残された俺には、複雑な感情が芽生え始めていた。
きっと2人の関係には小さなヒビが入っているに違いない。
別れさせ屋が手を出さなくても、2人の関係が壊れるまでに時間はさほど掛からないようにさえ思える。
だとすれば、2人に新しい『自分らしい道』を見付けるきっかけを与える事は、決して悪い事ではないのかな。
ただ情だけで付き合いを継続させる事が良い事ではないのだから。
自分に対しての言い訳か、それとも本気でそう思うのかは、自分自身でも分からない。
けれど2人の関係が大きく変わりつつあるのは、たった一つの真実。