■□ ターゲット1 #6 □■



 横山真澄のマンションに初めて泊まった日から一ヶ月。
 平日は夜に、休日は毎回、彼女の部屋に泊まっている。
 その間、彼女が依頼者の旦那と会う事はなかった。 本気で惚れられていると自覚できるくらい、彼女は俺と過す時間を望んでいる。

 ある日、彼女から仕事で遅くなるとメールが入った。送迎会があるので帰宅は深夜になるとの事だった。
 けれどそれが嘘だって事は分かっている。昨日、依頼者の旦那からメールが来ていたのは知っている。 今日、2人は20時にバーで待ち合わせをしている。
 彼女はどうしたいのか。依頼者の旦那との関係を継続させるのか――――気掛かりだった。
 この一ヶ月の努力がどんな形をもたらすのかは、今日の結果で判断される。


 待ち合わせのバーには山田も客を装って潜入している。
 山田は電波式の隠しカメラを携帯して潜入している事もあり、バーの外で杉山ともう1人の調査員と俺の3人がその映像を見ていた。

 依頼者の旦那は酒を飲みながら、横山真澄の顔を愛しそうに眺めながら、優しい顔・落ち着いた声で会話をしている。
 横山真澄は、始終困ったような顔をして、目を伏せがちに会話をしていた。画面の先に映し出される彼女は、普段俺の前に居る時とは別人のような顔をしている。
 音のない映像を3人で息を殺しながら眺めている時間、一分一秒が長くて、息苦しささえ感じさせる。

【ターゲットが別れ話を切り出した】
 山田からのメールを杉山が読み上げると、安心感が込み上げてきた。
 同時に、画面の向こう側では依頼者の旦那が怒りを含んだ顔をしているのが見て取れた。

【最後に今夜だけは付き合えと言っている。ターゲットは返事をしないで俯いている。どうする?】
 山田からの2通目のメール。
 今夜で最後か。けれど、そこで関係を持たせる訳にはいかない。彼女の気持ちが揺らぐのだけは防がなくてはいけない。

【すぐに対策を検討します】
 杉山はメールを返信してすぐに、これからのシナリオをどうするか?と聞いてきた。

「ここで祐輔を店に向わせるのはどうかな?バッタリ会いましたって感じで。ターゲットは別れ話を切り出したくらいだし、 祐輔を好きなのは明白だろ?揺さぶりを掛けるならそれしかないんじゃないか?」
 中年のベテラン調査員は杉山に声を掛けた。

「やっぱりそれしかないですよね?山田と待ち合わせをしていましたって感じで登場させちゃいましょうか?」

「そこで、偶然だねって感じで声を掛ければ、彼女だって依頼者の旦那とそのままホテルに行くなんて事はないだろう」
 俺の意見なしに詳細が決定していく。所詮は駒だもんな。
 自分の意思とか意見は持てないのが実行役だから。描かれたシナリオに従い、仕事をこなすのが役目だから。


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「お疲れ様です。お待たせしちゃいましたね」
 横山真澄の隣の席に座っていた山田の元に笑顔で駆け寄った。

「祐輔、遅いよ。散々待たせやがって」
 先輩・後輩を装うように会話をして席に腰を下ろした。
 丁度、依頼者の旦那はトイレに行っているようで、席には横山真澄しか座っていなかった。 横山真澄と目が合った。驚いた顔をしている彼女に笑顔を向け近付いた。

「あれ?もう送迎会終わったの?こんな所で会うなんて驚いた。でも、今日は会えないと思ってたから嬉しい」
「あ、送迎会なしになっちゃって…上司と飲みに来ちゃった。斉藤さんは…会社の人と一緒?」
 言葉に何度も詰まりながら、無理に笑顔を作りながら話す。いつ依頼者の旦那が戻ってくるのか気が気じゃないのだろう。

「そう、会社の先輩と少しだけ飲もうと思って。送迎会なしになったなら帰るの深夜にはならないかな? もし嫌じゃなければ後で会える?」
優しく微笑みかけると彼女の困惑した顔が手に取るように分かる。

「飲み終わったら…連絡して」
彼女がそう言った時、依頼者の旦那が戻って来た。

「知り合い?」
 横山真澄の肩に手を置いて、怪訝そうな表情を隠すように無理に笑顔を作っているように見えた。その大人ぶった態度が何となく癪に障る。

「ええ、ちょっと」
 俯いて言葉を濁す彼女。

「横山さんの知り合いで。こちらでたまたま会って声を掛けさせて頂きました。邪魔してすいません」
 男に一礼して山田のいる席に戻った。


 山田と話し込んだような演技を続けている間、2人の会話が弾んだ様子はない。 無言の時間が続いているようだった。
 22時になろうとした頃、男が席を立った。

「そろそろ出ようか」
「はい…」
 立ち上がった横山真澄の腰に、さり気なく手を添えている。
 その様子に視線を向け、驚いたような顔を作る。そして俺と目が合った彼女は、その手をはらうように体をずらした。 男はそれに気付かずに会計を済ませに向う。

 立ち去ろうとした彼女に、最後の予防線を向ける。
「真澄さん…あの」
 戸惑ったように声を掛けると、彼女は少し困惑した様子で振り返った。

 そして、山田の方に視線を向けながら一礼した後、小さな声で呟いた。
「終わったら連絡して。待ってるから」
 寂しさを含んだような笑顔を残して、2人は店を出ていった。


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 俺達もすぐに会計を済ませて店を出た。店を出ると杉山がワンボックスの後部のドアを開けて待っていた。
「早く乗って」
 小声で声を掛けられ、言葉に従うように車に乗り込んだ。

「尾行は?」
「今やってます。GPSで追いますから」
 車はゆっくりと発進した。さっきまで一緒に居たベテランの調査員が2人を尾行しているらしい。
 山田が広げたパソコン画面には、GPSの位置を知らせる点がゆっくりと進んで行く。向う先は、歩いて数分のホテル街だ。

 怪しまれないように、ゆっくりと車で尾行をした。
 一軒のホテルの手前で足を止める2人の姿を見付けた。山田はカメラを手にして、ホテルの前にいる2人の姿を撮影している。
 その様子をただ眺めていた。杉山は「ターゲットにメール入れて」と声を掛けてきた。
 ホテルに入ってしまわないようにしろ、という意味だろう。慌てて携帯を取り出してメールを打とうとした時「必要なさそうだ」と 山田の声が聞こえた。山田の視線を追うよう、ホテルの方に視線を向けると横山真澄は走り去って行く。
 残された依頼者の旦那は苛立っているのか、コンクリートの壁を数回蹴ってから、何事もなかったかのように歩き出し、夜の雑踏の中に消えてく。

 日付が変わる頃、横山真澄のマンションの下にいた。そこから彼女に電話を掛ける。
「今、マンションの前に居るんだ」
 そう告げて彼女の部屋に向った。

 ドアを開けるとすぐに彼女が抱きついてきた。
「どうしたの?」
「お願い、強く抱き締めて」
 泣いているのかと思うほど小さな声が震えている。抱き締めると、背中に回された彼女の手がぎゅっと力を込める。
 何を拭い去りたいのかなんて分かっている。けれど聞かない。これは仕事だから。 愛人という立場を清算する事で辛くなるのは、本人が傷を自覚するために必要な事だから。
 優しさの全てを伝えるように、言葉も交わさないままキスを繰り返し、夜が更けて行く。静寂が全てを包むように――――。

2009.07.30
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