■□ ターゲット1 #4 □■



「じゃあ、今日はご馳走様でした」
 マンションの前で笑顔で一礼し、後ろを向いて歩き出そうとした。
「あの…」
 呼び止める声に振り返る。
「本当にありがとうございました。連絡頂けるの待っています」
 照れたように言われた言葉に笑顔を返し、右手を軽く上げ、その場を立ち去った。振り返る事もなく。

 歩くこと数分。横山真澄のマンションからほんの僅かな距離しかないマンスリーの一室に入る。 ここはこの案件が終わるまでの間の基地局的な場所だ。
「お疲れ。完全に手中に入ってきてって感じだな」
 山田逸男は嬉しそうな声で、デジカメのモニター画面を見つめていた。
「そうですか?脈ありって感じですか?」
「まあな。ほら見てみて。店に入る時の顔や、店の中での表情。そしてこれが別れ際、お前が背中を向けた時の顔。
切なそうな顔してるだろ。こう言う顔をする女ってのは意外に早くおちるぞ」
 モニター画面には確かに切なそうな横山真澄の顔があった。

「カメラと盗聴器の設置も済んだしね」
 もう一人の調査員の杉山芳江がにこりと笑顔を向けてきた。 PC画面には、部屋に入る横山真澄の姿が映し出されていた。

「カメラと盗聴器?大丈夫なんですか?」
「大丈夫な訳ないだろ?見付かれば完全にアウトだな」
 山田は言葉と裏腹な笑顔を向ける。


「しばらくは見付からないわよ。部屋の中に仕組んでないもの。換気口に取り付けたのよ。これでも色々配慮しているわ。 浴室とかには仕掛けていないし」
 同じ女性として戸惑いはないのだろうか?と思ってしまう程、冷静に、冷酷に杉山芳江は笑っている。
 ここから、この仕事が終わるまでの時間、横山真澄と言う人間は監視されながら生きていくのか。



 1週間後の週末に2人で食事して、軽く酒を飲んだ。
 その次の週は会わなかった。もどかしい時間が恋愛感情を増幅させると言う、島崎が作るシナリオ通りに電話だけに留めた。
 知り合ってから3週間が経った月曜、横山真澄から電話が来た。

「もしもし、今電話大丈夫ですか?」
 昼休み時間だろうか。平日の昼間に携帯に連絡が入ったのはこれが初めてだった。 俺は名目上は会社員と言う事になっている。けれど現実は調査員の山田逸男と、杉山芳江と基地局的な一室に居た。

「はい、どうされました?」
 あえて社会人ぶった口調で、いかにも仕事の最中であるように振舞う。
「今日、夜に会えないですか?」
 躊躇したように、小声で話す彼女の言葉は不安を含んでいる。

「大丈夫だと思います。後ほど、こちらの都合が付きましたら、こちらから連絡致します」
 少し距離感を保つように言葉を口にした。特別な話は一切しない。そのメリハリが良いのだと杉山は言う。
 会うことを承諾してくれた事への嬉しさ、そして同時に付き纏う不安を増徴させると。会ってくれるのに、優しくない男への興味は大きくなると。

「ターゲットが動き出したな」  山田が嬉しそうに声を弾ませる。

「ねえ、今日が動き出すチャンスだと思いますよ。わざと連絡を夜21時以降までしないでおくなんてどうです?」  杉山がひねり出したプランを話し始める。

 夜遅くになってから電話を入れ、仕事がなかなか終わらなかったと告げる。
 一緒に食事をしたかったけど、こんな時間からじゃ申し訳ないと伝えて反応を見ながらも、会いたさだけは伝えて揺さぶろうと。 山田はすぐに島崎にメールで杉山のプランを送信した。
 数分経ってから島崎からの返信が届く。杉山のプランで問題はないだろうという判断だった。 それから、杉山と島崎が何通かのメールをやり取りして内容を固めて行く。

 夕方になって、山田が横山真澄の会社へと向った。
 退社してからの彼女の行動を見張るためだ。経過は逐一、電話かメールで入ってくる。 18時に会社を出てからしばらくの間、横山真澄は街をぶらついて時間を潰しているようだった。 20時前になって、自分のマンションへと向うようだと連絡が入る。

 PC画面に目を向けると、自室に戻った横山真澄の姿が映し出された。 沈んだ様子で携帯画面を見つめ、溜息を漏らしているようだった。

「山田さんもそろそろ戻って来ますね。彼女、連絡が入らなくて沈んでるって感じ」
杉山は冷静にPC画面の先にいる、横山真澄を見ていた。

「彼女、相当落ち込んでいるみたいだな」
部屋に戻って来た山田は、デジカメのデータをPCに落としながら声を弾ませている。

「ターゲット、街中でも何度も携帯を見ては溜息ついていた。相当、斉藤祐輔という人間を意識しているな。 依頼者の旦那、先週からずっと出張に出ているみたいだ。イタリアのアパレルブランドとの契約の関係での出張で、 再来週まで帰らないらしいんだ。寂しい状況って訳だ」
 なるほどね。恋人が居ない今がチャンス――――か。
「再来週までがチャンスって事ですよね?それまでに何とか、彼女との関係を確立させなければいけないって事ですね」
 俺の言葉に2人は頷いた。 今日が山場ってところだろう。

 時計に目を向けた杉山が最終確認をしようと言い出した。
山場となる今夜のシナリオを固めようと。 3人で最終的な部分を詰め、頭の中に流れを詰め込んだ。

  21時、横山真澄の携帯に電話を入れる。
『もしもし…』
受話器の向こうから、寂しげな声が聞こえてくる。一瞬、胸の奥がちくりと痛んだ。

「斉藤です。連絡…遅くなってすいません。仕事がなかなか終わらなくて」
『いえ、急に誘ったのはこちらなので。気を遣わせてしまってすいません』
 謙虚な言葉。けれど、PC画面に映し出される顔はさっきとは違って明るい表情になっている。

「横山さんと一緒に食事したかったな…。さすがにこの時間からじゃファミレスか居酒屋しかないですけど。 一緒に食事が出来ると思って、嬉しくて仕事頑張ったのに。こんな時間になるし、腹は減ったし疲れはピークだし。 何より、横山さんにご迷惑掛ける形になって残念です」
 思わせぶりな言葉を並べる。

『あの、お住まいって私のマンションから近いんですよね?もしご迷惑じゃなければ、ご飯作りますから一緒にいかがです?』
「え、良いんですか?って…こんな遅い時間にお邪魔しちゃ、逆に迷惑掛けちゃいますよ」
 かけ引き。ここで引き下がられたらアウトだな、なんて事が頭を過ぎる。

『斉藤さんが迷惑じゃなければですけど、これから食事を作るので。1人分も2人分も同じだし』
「じゃあ…お言葉に甘えて良いですか?」
 横山真澄の言葉にガッツポーズをしている山田と視線を交わしながら電話を切った。

2009.07.25
―――――――――――――――――――――――――

■NEXT→10    □BACK→08    ●目次へ→TOP

ネット小説ランキング>恋愛 シリアス部門>一日千秋に投票

応援よろしくお願いします。(1日1回) 

inserted by FC2 system