■□ 動き出す新たな世界 □■



 それから、あれやこれやと真直と会話をして、気付けば朝陽が昇る頃までその場に居た。
 その場に数時間居て分かった事は、真直は一般人ではないと言う事。きっと…二木兄妹と同じ世界の人間だろう。 そして、その中でもトップクラスの位置にいるのは、無知な俺でも肌で感じるように分かる。

「じゃあ、二木の件が済んだら連絡するよ」
 真直の言葉で、やっと帰って良いと言われていると分かった。

「あの、ありがとうございます。色んな意味で…。分かったような事、言って欲しくないなんて言ってすいませんでした」

「敬語なんでよせよ。良いんだ。お前は初めて出来た友達だからな」

 それが本音かどうかは分からない。けれど嬉しそうに笑う真直は、他の男達に接する態度とは明らかに違う表情を俺に向ける。 子供のように無邪気さを含めて笑う顔は、本当に普通過ぎるくらいに普通だった。

 部屋に帰ると疲れがどっと押し寄せる。
 さっきまで緊張しっぱなしだったから。あんな状況に身を置いた事は今までない。 平凡に過ぎる時間の中で、ぬるま湯につかるように生きて来た。
 それがたった一つの些細な出来事をきっかけに、非現実的で、非日常的な未体験ゾーンに無防備に入り込んでしまうなんて。

 天井を仰ぎながらさっきまでの出来事を、一度見た夢でもさぐるように何度も思い返していた。
 真直とは一体どんな人間なのか――――。 ネットで検索すれば何らかの情報が得られるかも知れないと思い、すぐにパソコンの電源を入れた。
 起動してすぐネットに繋ぐ。検索で茶谷真直と検索すると、沢山のページが引っ掛かる。 いくつものページを開いて中を見る。そして5つ目のサイトに真直の事が詳しく書かれていた。

 真直は、家系的にずっと続いている暴力団のトップ。それもどこにでもあるような、いわゆる組≠ナはなく、その上の組織。 チンピラや他者に迷惑を掛けるのが2流ヤクザだとすれば、真直はきっと1流のヤクザだ。 通常は一般人には手を出さない組織構成をしていると書かれていた。
  資金源はいくつもの会社経営の結果と書かれている。経営している会社のほとんどが、調査会社と印刷会社だと分かった。 印刷会社に関しては、数多くの政治家のポスターや名刺印刷など、政治絡みの受注を受け、相当額を稼いでいる様子だった。 仕事に関する事はそれ以上は分からない。
 子供がいない事なども書かれていた。


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 2日後、見知らぬ携帯番号が着信を告げる。
「もしもし?」

『俺だ。今から迎えに行く。どこにいる?』
 受話器の向こうから真直の声が聞こえてきた。

「これからバイトなんだけど…」

『バイト? 辞めると連絡しろ。お前には新しい仕事やるから』

「辞める? どう言う意味?」
 頭の中が真っ白だった。大学に入ってからずっと続けているバイトで、友達だって沢山出来、俺にとっては楽しくて仕方がない場所。 それを一方的に辞めろだなんて…。正直、頭がおかしいんじゃないか? と思えた。

『言ったろ? その命を俺に預けてみないかって』
 あの歩道橋の上で真直に言われて…俺はその言葉に反論もしないまま、受け入れる形になっているのかも知れない。 取りあえず、真直との電話を切ってすぐにバイト先に電話を掛けた。体調不良でしばらく休みたいと伝えるのに留めた。
 まだ、自分が置かれている状況を飲み込めていなかったから。
 

 真直と待ち合わせた場所に現れたのは、スーツ姿ではないラフな服装の真直と、20代半ばと思われる女優でもモデルでもおかしくないスタイルも顔も美しい女性だった。

「今日から将哉には教育を受けてもらう。セレブになれるようにな」
 にこりと笑顔を作りながらそれだけ言うと、真直はその女性に対して、俺に挨拶をするよう促す。

「今日からあなたの教育を担当します、本田千佳です。よろしくお願いします」
 ふわりと触れる長くて艶のある巻き髪から、とても良い香りが漂う。

「あの…教育って? セレブになるって?」
 状況を飲み込めずにまごつく俺に、付いて来いと言いながら真直は足早に歩き出す。その後ろを子犬のように付いて行くしか出来なかった。

 着いたのは高級ホテル。ホテル内にある、『一流』がつくほどの高級な中華レストランの個室に通された。

「将哉、あれから二木から連絡が来たりしたか?」
 メニューを手に心配そうな表情で聞いてくる。そしてウエイターに注文を伝えながら、俺からの返事を待っているようだった。

「いえ…来ていません」

「だろうな。もう来ないから安心しろ。きっちりと話はつけてあるから。もうあいつらは、将哉に対して何も出来ないさ」
 運ばれてきた飲み物をさり気なく真直と俺に差し出す千佳の仕草は、とても自然で。その動きの一つひとつが美しかった。 千佳の仕草に見惚れている俺に気付いたであろう真直は、本題を切り出した。

「俺は調査会社をいくつも経営している。その中でも一番の売り上げをたたき出している会社は別れさせ屋≠専門にしている。 相手はセレブばかりだ。旦那と愛人の関係を何とか切りたいと願う淑女や、ご子息に近寄る女をどうにかしたいと願う人間が多くてな。成功報酬は800万以上が相場だ。 別途調査費用が計上されるから、一つの案件で動く金額は1000万を軽く超える」
 真直が切り出した話に相槌を打つことも出来ないまま聞き入っていた。

 重要なのは、依頼者の配偶者や恋人の相手であるターゲット≠ニの恋愛を成功させる事。 依頼者は金持ちばかり、故にターゲットもそれなりの生活をしている人間が多い。
 愛人として多額の金をもらいながらセレブの仲間入りをしている人間を相手にするには、 容姿・知性・礼儀、そしてセレブとしての振る舞いが出来る事。真直はそのための教育を受けろと言った。
 要は俺にターゲットと擬似恋愛をして、依頼を成功させる実行役≠ニして働けと言う。

「どうして…俺にそんな仕事をさせるんですか?」
 不思議だった。ただ居酒屋で知り合っただけで、何の取り柄もないような、ダメ人間全開の状態の俺を、真直は知っているのに。

「将哉を手放したくないからだ。どうしても手元に置いておきたい。だけど周囲が安易にそれを許すわけがない。俺の立場を後継したいと 願う人間が多い中に、ただ将哉を入れたいと言えば、将哉自身を危険にさらしてしまうだろう。仕事を与えるという 名目を作ってでも将哉を傍に置いておきたいんだ」
 ためらう事もなく、真直は視線を合わせたままに言った。
 その目はまるで、親に許しを請う子供の目のようにも、獲物を捕らえた獣の目のようでもある。 優しさと、恐さを含んだ目は、吸い込まれてしまいそうな程に正直で、その目に逆らう事など許されないような気さえした。

「でも、俺…」
 断る言葉を口にしそうになった時、真直の表情が曇る。

「貸しがあるだろ? 二木の件、解決したじゃないか」
 脅しに近い言葉にさえ思える。それなのに真直の目は、欲しい物を得ようと親に懇願する子供のようだ。 それ以上は反論なんて出来なかった。二木からの脅しの件で、最低でも800万の借りがある事になる。 それを無視すれば…どうなるのかくらいは、どんなにバカな俺でも分かる。
 俺はそのまま口を噤んだ。それは沈黙は了承≠ネのだと頭をかすめる思いは確かに心の中にあったのに。

2009.07.08
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